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The Sartorialist
ストリートから
シルエットを知る

十分に当てはめられない個性
その根本を引っこ抜く
すべてのファッションに今日を

今日だからこそダサくても良いのではないだろうかとりわけ不器用なセンスに思わず依ってしまう概念をファッションと呼ぼうという

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ファッションとは、とても曖昧な領域を示す言葉である。
単純な意味をつかんでみると、ほとんどの答えが
衣服やお洒落するといったイメージになるのかもしれない。イメージとは言うが、
そのかたちは目に見える物質的なものにつながることが、そのほとんどではないだろうか。

エポカルの捉えるファッションは、ほんの少し違った感覚がある。
生活スタイルや生き方、とりわけ不器用なセンスに思わず依ってしまう。
そうした感覚的な、概念のスタンスをファッションと呼ぼうという。

 

ある人は無関心なまま。気にしない・どうにもしてもかまわなかったり、
それから意識すらしない人も多くいることだろう。
一方である人は、モードと呼ばれるような最先端のブランドやパリコレクションを連想するし、
若い頃は、毎日の着こなし自体を等身大のお洒落として
楽しむことをファッションと呼ぶのかもしれない。

それでも、おそらくは普通の良識を持っている人なら、
少なくても衣服を着ているにちがいない。
ただ、それだけでもファッションという言葉を当てはめることが、
十分には出来ていないのではないだろうかと手探りたいと思う。

 

「The Sartorialist」一冊の本が世界中に溢れるファッションの
”今”を一目で捉えるのに、ちょうどいい感光をさせる。
本には色々な見方があるが、今日はひとつ、
「ファッション」の領域というところから読んでみたい。

 

the sartorialist

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 http://www.thesartorialist.com
 

昔ながらの洋服好きなら、今日という空気を感じとって
自分のセンスに汲み取ることが容易なのかもしれない。
断定的になれないのは、それもまたファッションの定義のひとつだからであって、
その街の温度や共有する雰囲気のようなものが多く影響しあって表情をつくりだすのだから、
変化とは当然のエレメントになる。
環境や気分に、具現化するかたちが人々に映り出すことが面白さの頂点なのではないだろうか。
だから今、ストリートがハイエンドに端を寄せている。

 

ファッションフォトグラファーScott Schumanはストリートを舞台に
世界中のファッション、人物と衣服を切り取っていく。

パリ・ミラノ・ロンドン・ニューヨークのファッションウィークに集まるのは、
デザイナーやディレクター・エディター・スタイリスト・アーティスト・モデルたちに
付き物のパートナー、といったプロフェッショナルだけではない。
そうした一線のファッションは、まあ、ほとんど完成されているのだろう。
正直に言うと時々、つまらなささえ覚える画でもある。

というのも、生身のその人に会って話している訳ではないので、
ある種のパーフェクションは壁を感じさせる。
その壁の内側であろうが、外であろうが、壁は壁であってそれ以上進めないということにつながる。
これからは、いっそうリアルな好奇や興味、実体験の手に取って獲得する
”何か”が私たちを動かすエネルギーになることは間違いない。
いわゆる「ファッション」の不遜は、こうした社会の流れにおいてけぼりにされそうな空気さえ漂っている。
お高くとまろうが、オシャレだろうが、画に収まったらおしまいなのではないのだろうか

 

いくらハイエンドブランドを身につけたとしてもダサいものはダサいが、
「The Sartorialist」に登場する人物には表情が溢れている。
それでも、この「ダサ」は否定ではない。
いくつものファッションウィークを駆け抜け、国を巡り、
その分だけ人々を切り抜いてきた写真家は、
その「人」を鮮明に浮き上がらせる眼を持っているのだ。

 

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http://www.thesartorialist.com 
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http://www.thesartorialist.com
 

シーンのそれよりも、むしろ旅の風景に現れる日常の中の出立ちに
「ファッション」の空気を感じることがある。
その人は身なりのことなど関係なく生きることもあるだろう。
それでも「The Sartorialist」は切り取る。
本人でさえ意識していないものが成り立つファッションとは不思議なものである。
私たちの日常や当然は、誰かにとっての目線では美しく見えることがあるのだろう。
大いなるつながりを感じることは、私たちにとってとても大切な要素だと信じている。

 

the sartorialist

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http://www.thesartorialist.com
 

人の目が気になることがいいところでもあって、
反対にそれで足並みが揃えたくなる姿勢が退屈でつまらないのかもしれない。
そして考えてみると、他人の目線ではどのように「ファッション」がうつるのか誰にもわからない。
「The Sartorialist」が映す”裏”ストリートのスナップは、
ある意味で核心をついているのではないだろうか。

 

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http://www.thesartorialist.com
 

よそよそしい横目使いの視線は四角い街のクローンを育ててしまいがちである。
当たり障りのなさや慎みに掏り替えられやすい不感や従順な感性は、
システム化されたプログラムシナリオに沿い、だからこそ誰でもファッションを違って捉える。

 

ダサくても良いのではないだろうか。

 

他人の目を気にして歩くことがファッションの意義として、
よくよく据え置かれる客観視点だとすると、その根本を引っこ抜くこともしてみなくてはいけない。
今、これを見ている”自分”とはどの目なのかということを。
”自分”は好きなファッションを着ているが、私は自分の目でその背中すら見たことがない。
ジャケットの嵌ったショルダーラインやパンツのシルエット、
ウェストの遊び具合いなど誰が見ているというのだ。
ということは、自分だと思い込んでいた身体でさえも掴んでいない。簡単にすり抜けていく。
街行く人を見るということは、こういうことなのかもしれない。
街の風や温度によって空気がかわるのは当然なのだから、
つまり、ストリートを見る視線の先には自分という「ファッション」が見えてくる。

 

 

数年前に、海の見えるカフェで、尊敬のおける友人に出会い「The Sartorialist」を教わった

時間の流れと同じにかたちは様々にかわっていくけれど

 

すべてのファッションにすばらしい今日を