エッシャーの憂鬱 | Epokal エポカル

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BLUE 冷静

共通言語を持たない
混乱した時代の
騙されるような世界

ファッションが優越されることとは
私たちにとっては中身を表現することが出来る点
目に見えるものの意思をエッシャーから学びたい

7minutes

共通言語を持たない
混乱した時代の
騙されるような世界

ファッションが優越されることとは
私たちにとっては中身を表現することが出来る点
目に見えるものの意思をエッシャーから学びたい

7minutes

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騙し絵の中に入り込んだ
M・Cエッシャーの本当

中央は地平線との関係で壁であり
その上の眺望とのそれは床で
星空に向かっては天になる

ここEpokalという場にはファッションについて、これまでに描いてきた、
これから積み重ねていくイメージがあります。
どのシーンにおいても核心に触れることが出来て、感じていただけるみなさんにとっても、
編集部にとってさえも、「ファッション」がどういうところからはじまるのかが
大切な一歩として据えられているのです。

 

Day and night

グレー色の四角い田畑が上昇して白と黒の鳥のシルエットに変わり、フォーメーションのように
黒い鳥は左に、白い鳥は右に向かって飛んでいきます。
白い鳥が溶け合って昼間の空を作り、黒い鳥が夜と同化していくのです。
昼と夜はお互いの反転像であって、グレー色がそれを結んでいますが、
そこからでさえも鳥は生まれてくるのです。

 

日々を生きる上で、ファッションとは仮面でもあります。
普通、仮面というと、ものの表情をかくしたり、覆って見えなくするかの為のものです。
衣服は着る人の表面を覆いますが、一方で表情を隠すためではなくて、
見せかけの或る「何か」を出会った相手に与えることができます。
「ファッション」がここで優越されることは、
これが好きな私たちにとっては中身を表現することが出来る点に集約されるのです。

 

これまでに取り上げてきたことの様に、Epokalではライフスタイルを共にするものとして、
その日々を気持ちのいいものにしたり、意思の反映とさせるといった形而上的なものの価値を獲得すること、
それに何よりも、とにかく楽しめる世界を切り開く、
視野の拓けたすべての行為や言動にファッションを求めたいと願うのです。

 

このために、やはり、「私」たちにとって「ファッション」は見掛け倒しのものであってはなりません。
価値を持つのは「私」であり、その表面はきっかけにすぎません。
「私」の現れる一端であることを深く身につけなくてはいけない時間に、今、来ています。

 

realism

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http://www.mcescher.com

 

Tower of Babel

創世記によると、かつてすべての地は、同じ言葉・同じ言語を使っていたと記されています。
その時の人々は言い合いました。天まで届く塔をつくろうと。
このことを見ていた神様は、お互いのことが理解できなくなるように彼らの言葉を乱してやりました。
そこからすべての地に人が散っていったために、人は混乱して塔を築くことをやめてしまいました。
そうして、ここからその街をバベルと名付けたのです。

この時、人々は様々な人種に文化したとする考え方があります。
そのために工事現場の人足の中には白い肌や黒い肌の者が混じっていて、
お互いの言葉が通じないために仕事が滞っているのです。

 

M・Cエッシャーは直接絵に触れることよりも、文字にするという回り道を通った方が
理解しやすいという人々がいるという事実を知った上で、自分の作品に解説を書きのこしました。
ある意味で絵という「表層」を生み出した意思を読み解く作業を
他人には任せられないと考えたエッシャーに、感じるセンスを見出すことができます。

 

ファンタジーや人工的、もしくは数学的な構成を評価されがちなエッシャーの作品ですが、
その内包物が、実は世界中に溢れる物事や感覚であることが見過ごされやすいという現実もあります。
もしかすると、本人はそうした見方を命題とするかのように解説の仕事に取り掛かったのかもしれません。
「Tower of Babel」に隠れているものは、今日の何だろうかと考えてみようと思います。

 

いわゆる神と宗教をもたない目から見ていると、
すべての地を取り上げた「神」に置き換えることができる「何か」が何へ向かうことなのかが、
今、失われつつある様に感じてしまいます。

 

エッシャーとその作品は面白い構成や不思議な世界観のおかげで、
トロンプ・ルイユと呼ばれる代表格にもなっていますが、作品の裏側にある意思を感じてみると、
エッシャーの描く作品ほどこの現実の世界を愛したものは他にはないということがよくわかります。

表面に現した「目に見えるもの」の意思の持ち方を
エッシャーから学んでみたかったと夢想するのは私だけではないでしょう。

 

realism

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http://www.mcescher.com

 

Waterfall

これは四角い梁から出来ていて、それが直角に組み合わされています。
それぞれの部分を目で追っても、おかしなところは目につきません。
しかしそれでも全体は成立不可能なのです。
成立不可能なのですが、私たちの目は物体間の距離の関係を見ることが出来ません。

私たちは私たちによって捉えられているのでしょうか。

 

realism

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Belvedere

一枚の紙が落ちていて、そこにさいころが線で描かれています。
2つの円は線の交差する場所を示しているのです。どちらの線が前でどちらが後ろなのか、
前と後ろが同時に存在することは3次元では不可能であって、それを描くことも出来ないはずです。
しかし、ここでは上から見ると、下から見たのとは全く違った外観が示されているのです。
ベンチに座る少年は手の中にこのような立方体を抱え、考え深げに見つめていて、
自分の後ろの建物が同様に不可能な形をしていることに気がつきません。

下の階では床に梯子を立てて2人の人物が、ちょうど昇っていくところです。
しかし、1階上に到達しても彼らは相変わらず外側にいて、もう一度中に入らなければなりません。

ここにいる人の誰も、格子から首を突き出している者の運命に気を留めることはないでしょう。

 

realism

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Another worldⅡ

立方体の内側から見えています。5つの壁に開いた窓からは5つの異なった世界が見えます。
上部の2つを通しては、ほとんど垂直に下の地面を見下ろしている。
中央の2つは目の高さで地平線が見えます。下部の2つからは星を見上げることになります。
この建物は天底と天頂とを破綻なく統一していますが、それぞれの「表面」は3つの機能を兼ね備えています。
中央は地平線との関係で壁であり、その上の眺望とのそれは床で、星空に向かって天井になるのです。

 

その作品モチーフに建築物や建造物といった人知を尽くした構造物が多く使われていることに、
誰もが気がつく時、もうひとつのファクターに光があたったのだと私は考えました。
都会にいながらにしてランドスケープを望み、湧き出る泉を噴水に込めて、
数学的なシークエンスを抽出するエッシャーは、木々の生い茂る森や大海原のような
大自然だけの世界では落ち着くことが出来なかったのではないでしょうか。
彼が求めたのは、すべての身のまわりにある「自然」という環境に、
人を含めた世界秩序のようなものだということが見えてきたのです。

 

こうして、エッシャーの表層と背景の意思の間に「人」が主題として浮き上がることに目を見張ることになりました。

 

realism

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Bond of union

2本の螺旋が絡み合い、左側では女性の、右側では男性の顔を表しています。
終わりのないひもが額をつないでいて、「2つ」を統一しているのです。

 

エッシャーは世界の秩序を見たときに、その一端で生きる人々のありのままの自然を愛したのかもしれません。
最もはじめの問いかけに、少しだけ立ち戻ってみると、少しだけ答えが、薄っすらと見える様でもあります。
考えてみると、「人」こそが世界を立ち上げる本来の力なのではないのだろうかと思えてくるのです。

 

 

もしも世界の秩序という真理性を描けるのだとしたら、何にでも入り込める

卑しい今晩のニューストピックにさえも、何ともなく入り込むのではないでしょうか

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