暮しのなかの雨の降る日 | Epokal エポカル

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BLUE 冷静

雨の降る日の「喜び」
ぼろぼろに融けだす
ファッションの匣

それはパッケージされた私であって、
べたべたとありとあらゆるレッテルが貼られ、
いつしか匣のなかに空っぽの精神だけが残される。

4minutes

雨の降る日の「喜び」
ぼろぼろに融けだす
ファッションの匣

それはパッケージされた私であって、
べたべたとありとあらゆるレッテルが貼られ、
いつしか匣のなかに空っぽの精神だけが残される。

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持たないスタイル
持ち歩けるセンス
松浦弥太郎という目利き

色々なことが便利になった今日だから
アナログに物を持ち歩こうと思う。
暮しのなかで失われた喜びを探そうと。

晴れた日の朝、誰でも、いい気分のまま通勤か、それとも通学の途中でふらりと外へ出かけたくなる。

 

雨の日は嫌いでしょうか?

もう午後が近づいているのに暗いままの空模様に絆されて、
気持ちまで引っ張られて暗くなってしまうということは、
太陽の光が十分すぎるくらい、すぐそばに感じて生きてきた日本人の贅沢なのかもしれない。
それに、四つの季節を肌に感じながら折々の表現のゆかしさを身体と心の中に備えていることは、
僕たち一人一人が誇るべき才能なのだと識っておきたい。

 

裏を返せば、自然とともに共生するということは、明日何を失ってもおかしくないという構えをもつことでもある。
大切に育てた稲を一陣の風に浚われることを記憶の奥底に刷り込まれた臆病さは、
そのまま気の重い、備えあればなんとかという精神へ引き継がれている。

 

どこまでも後ろを向いて考えるよりも、もっと気楽に今を信じていたい。と、
そう思わせる雨とは、色々な場所や物事に向うセンスを引き出してくれる機会になっていた。
都合の良い時よりも、具合のわるい人の方が、その人の本質が鏡面合わせの中で自分を見つめることになるのだろう。

 

just walking in the rain

just walking in the rain

http://www.gustavominas.com

 

雨のための道具のなかには、そういったクラシックな意味での人を最高位で物語れる良心の一端がある。
ライフタイムで語られるファッションのパートナーの中でも、
傘はその一本で持ち主の精神を支えることのできる数少ない一つに挙げることができるのである。

 

雑誌「暮しの手帖」の編集長をほとんど10年近く務めた松浦弥太郎氏は、
洗練された感性と、ありとあらゆるジャンルの洪水の様な物質文化の中から
一流品を見定める眼力によって、そのファッションにも無駄のないスタティックさが現れる。
美しい男性といっていいのではないかと思う。
その氏が、曰く、鞄を褒められた時が最高にうれしいのだと言う。
きっと、松浦氏自身にとっての鏡面が鞄という、「今日」選択した道具を収めるツールにあるのだ。
とても簡単で素直な感性にほっとする。
「暮し」という言語を毎日見つめてきた松浦氏の「喜び」に、
気づくことが出来るファッションが今、急速に失われている。まったくの反対方向へ。

 

いつまでも身軽に動きたいので、私個人はあまり物を持ち歩くこともなく、縁の遠いものになっていたけれど、
先日、偶然に見かけた、ある傘のシルエットを見て、いいなと思ってしまった。
いえ、言い換えたい、長傘は持ち歩くことで「喜び」を物語れる。

 

just walking in the rain

just walking in the rain

http://www.foxumbrellas.com

 

何かモノを持って出歩くという行為自体が「喜び」につながることを忘れ、
亡くしていた感覚のひとつなのでしょうか?
雨の降る日という条件の上で与えられたのは、私たちがどうしても高揚してしまう所有する欲求と、
自分自身の介抱という入り組んだ匣であって、それは、「雨」に置き換えられた別の条件であったとしても、
要はこれをどう扱うのかという波乗りのような一点にのみ、ファッションを自分のものとして捉えることができる。
つまり、私たちのパーソナルな一面を体現する何かしらのモノゴトが
今日のファッションにとっての重要な1要素になり得る。
「人々の暮しに役立つ」という松浦弥太郎氏の新しい試みはきっとそんな「喜び」を伝えてくれそうな気がする。

 

ファッション志向がどのようであっても、思えば、「雨」に対する答え合わせをする時に、
それを断ることさえもセンスと言い張ることがファッションではないか。
導かれた答えが傘ではなく、湿ったウールの鼻をつく、ジャケットであることもある。
ただし、そこには明確な意思が伴っていなければならないことは明らかなのだから、
何れにしても肖像には何らかの思いが込められていることにかわりない。

 

just walking in the rain

just walking in the rain

http://www.street-photographers.com

 

ファッション屋ではない口から出たところで、緊迫感のない放物線に沈んでしまいそうではあるが、
言っても、ファッションとは、すべて人にとっての外箱・パッケージにすぎない。
美しかろうが醜かろうがどうでもよかったとしても、匣は匣なのである。

 

just walking in the rain

just walking in the rain

https://londonundercover.co.uk

 

雨で融けた外箱のなかに入っている本物の自分が、善いものなのか化け物なのか、
もしくはただの空っぽなのかは各各のそれぞれである。
匣に詰込まれるものが何であるのか、雨の日のシルエットはそんな私の本質が融けだして洩れているようである。

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