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たった一着の服に集う
奥行きのあるリアル
ファッションの偏差値

良い古着屋は目的地になり、
目的は人生の道標である。
つながる時代のメッセージを読む。

そこに並んでいないモノを探し求める。ここに感覚の種が落ち込んで、服という物質がカルトになる。

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若者と呼ばれる何らかの層に、わかりやすいものが売れるという。

10代後半から20代という最も感じやすく、
また最も自由に自分と時間とをつなげられる年代にあって
“わかりやすい”でファッションを片付けるとはノーマルではない感性なのではないかと首を捻っている。

 

大手セレクトショップが大々的に掲げる正面のコーディネートの様なマネキンファッションと
清潔感という言葉で洗い流した様な、味も素っ気もないコピーが良いというのである。
反対に言えば、“若者”ファッションの代名詞であったはずの古着は苦しい立場にあるといえるのかもしれない。
そういえば少し前から、いかにもストリート然とした
蒼蒼しい少年たちを古着屋の片隅の灰皿の横で見なくなった気もする。
スリフトやフリーマーケットを巡って掘り出す
ジーンズの色落ち具合はすっかり、ぼんやりと滲んでしまっているようだ。

 

ところで、目の前に整然と並ぶ新品の服は、インターネットで検索するのと同じくらい簡単に、
“オシャレ”と銘打たれたものを買うことが出来る。
便利な世の中、誰にも中傷されないだけのきれい目な印象はいくらでも転がっている。
一方の古着屋やスリフトにあるのは、その店のセンスや空気、
そして訪れる人々が交換しあう情報、所謂ところの時代感の集積である。
提げられたプライスタグの他に詳しいヒントもなければ、商品がサイズや色順に並べられる訳では決してない。
小さな古着屋だけどアタリの良い店もあれば、有名であっても自分のアンテナにかからない店もある。
ただの衣料品でしかないものが、不思議なほど掛け替えの無いものになるのは、
一着の服を捜し求める行為が、そのために本や古雑誌を総ナメにしたり、
親しい店へ情報を聞いてまわったりする通過経路にあるのだと感じているのだが、
これを面倒だと片付けて隅に追いやる時が来ているのだろうか。
それとも古着にさえ整然とした面持ちが求められるというのだろうか。

 

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http://specs.doorblog.jp

 

正直でわかりやすいモノが売れるターンが来ているのだとすると、
最早一つのアイコンとなったアイテムやブランドが沸騰するのも頷ける。
例えば、Levi’sの501やチャンピオンのリバースウィーブ
VANSのオーセンティックにコンバースやスタンスミスの様な
グッドオールドアメリカンの象徴的ファッションが今日の若い世代に持て囃されて再復刻され、
リイシューされる様はうれしくもあり、同時に何だか白ける部分をも知っている。
つまり、何でも揃う時代においては、
中々手に入るはずの無いヴィンテージがレギュラー化されることも起こっているのである。
確かに良いモノが広く巷間に供給されるのは自由経済において善き事象なのかもしれないが、
それが簡単に起こることと、喉から手が出る程欲しい気持ちを抱え続けて
手にすることには大きな違いがあるような気がしてならない。

例えば、古着にマルタン・マルジェラというハイファッションのブランドを
ミックスするというスタイルがストリートに舞い降りたことがあったが、
基本的に古着には古着の、マルタン・マルジェラにはマルタン・マルジェラの奥行きがある。
それぞれ、古着屋のオーナーが決死の思いでストックしてきた中から、
数シーズン分のコレクションから目当てのデザインを探し出す努力と、見抜く喜びがあったのだと思う。

それもヴィンテージ古着という途方もない膨大な量のストックから自分の目当ての服を見つけるためには、
必然的にストライクゾーンの外側にあるモノまでが目に飛び込んでくることになる。
思うに、リアルなセンスとは、こうして“余計”なものまで見ていることに感化され得る。
この時、単なる服探しは宇宙探検にも匹敵する厚みを持つものである。
知識と眼で掘り出す先にあるものは、その発見者にとって一着の服以上のものであると言えるだろう。

 

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BEACH)http://ameblo.jp/beach777beach/hickory)http://ameblo.jp/hickoryshimokita/BackStreet)http://backstreet.jp/index.php

整然と並ぶウェブやわかりやすさといった利便性が掲げられがちな今日のマーケットとは異なり、
古着屋と、ビジョンと意思のある感度の鋭いセレクトショップには、明確にされていないメッセージがある。
それを汲み取るところにファッションの生の声が響いて
自分のセンスに昇華されるのだと理解できるようになりたい。

それも、「センスを集める古本屋」の様に、何でも選択出来る時代だからこそ、
その裏側にあるメッセージとの巡り会いに人生というものが宿り、繋がるのだと思っている。
必ずしも一点物が良いという意味ではないけれど
寄り道をして目当てではないものに触れる、明示されていない奥行きを感じて学ぶ。
そうしたところにインスピレーションと新しい自分の開眼が待っているのではないだろうか。