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オシャレブランド
好感度ライフスタイル
唾くピープル

うつくしい在りかたの価値を見る。
それから、そこへ向かない眼を知る。
これから着たいジャパニーズブランド

まるでモードで、ストリートで、ヴィンテージ。多くのファッションをくぐり抜けてきた今、自分という街の感性だけが残る。

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建築家『隈研吾』は著書『負ける建築』のなかで、
大都会に屹立して連なる高層ビル群の誇示する強さ、
それから毎朝そこに向うために一生分のローンに思い込めた戸建住宅のことを‘勝つ建築’と捉える。
先ず、背景にあるのは画一的なデザインや都市生活者のライフスタイルといった
従来の価値観を硬直させる社会観念であり、
それに代わるための建築は周囲に馴染み、
外的要因をやわらかく受け入れることを求めるべきであると主張する視線がある。
もっと弱く、もっと柔らかい建築になれないのだろうかと。

 

それに古くから、日本に暮す人々は自然と寄り添うように共存して生きて来た。
先に自然という環境があってそれに従うというかたちの文化を育んできた。
それはまるで近代のトウキョウと世界にとっての正反対の美意識ではないだろうか。
建物という箱は目立たずひっそりと、しかし確実にそこで暮す人々を支え、
自然の中に溶け込めるものだということではないだろうか。

 

st.tokyo heavens’ hell

st.tokyo heavens’ hell

http://www.yaeca.com

 

環境に‘負ける’。

建築だけでなく、日本という国を表現するための言葉として
これほどしっくりとくるものを、今は知らない。
謙って相手を敬う。多分に厳しい自然環境の中で支えあいながら暮してきた日本の精神は、
由緒正しき自然のなかにある自分を見る姿勢にあると言っていいのかもしれない。

ファッションのその根底にあるものは周囲の環境を打ち負かすものである。
彼を見た人々、生活圏の流行から少しだけ優位側にある
エッセンスを身につけることから始められるのだから。

 

st.tokyo heavens’ hell

st.tokyo heavens’ hell

http://www.arts-science.com

 

流動する多くの社会的な要因、震災や事件、経済的なカタストロフによって、
人々の日々の暮しの生活自体が内側から揺さぶられ続けた結果、
より自然体に近い健康的なファッションスタイルが
日本の若きアイデンティティの近似値として顕れはじめた。
紋切型の生き方よりも自分という定位置をはっきりと指し示すための
『環境に負ける』時代のファッションはシンプルでいて、力があり、なにより所作が美しいと感じられる。
日本という国のファッションつくりの景色は、今までにない本当の価値を問われる大きな転換地に着たのである。

 

st.tokyo heavens’ hell

st.tokyo heavens’ hell

http://www.arts-science.com

 

従来通りの模倣するお洒落が立ち行かなくなっていくのは、人々の目が飽きてしまったから
特別に自分のこととして受け入れる万人の望みがなくなったから
自分のストーリーの中のファッションにしか手を出さなくなったから
ミニマリズムとは違う、洗練された、プリミティブでどこか知性の感じられる服に
少しずつ関心を惹かれるようになってきている。それを証明するかの様に、
これまでの華美な装飾や見栄を取り除いた生活密着型の
‘日本メイド’のブランドデザインがそれぞれの価値観と視線をそっと覗かせている。

 

st.tokyo heavens’ hell

st.tokyo heavens’ hell

http://eel-co.jp

 

しかし、それはそれで

 

‘負ける’の手繰る糸はファッションとは基本的に違うのだろうとも知っている。

そうした洗練されたモノとコトが愛される意味はよく理解る。
それにしても、そうした社会の流れのファッションに乗れない人々もまた大勢いるのである。
環境に負け得ることも、ファッションに流されることもなく、
キリキリする精神を抱き込んで生きることを、ただその始点から広がる波を発信し続ける。

 

                              

 

ファッションの在り方を日本人的思慮深さで考えてみると、
環境に負ける服が光りだして見えるのは、
あらゆる局面を乗り越えてきた感性の塊が生き方や暮し方といった
全体の意識の中で高めてきたものだからであって、
大ゲサに言うとファッションをやらないという、
究極点の姿勢にすら潔くつながってくるのだろう。

 

環境に負けるということは環境の中にある美しさに入り込むということである。
そこにあるのは‘そのひと’としての存在感のみが確かなことなのだから、
同時的にファッションの価値を失うというシニカルな状況が生まれてしまう。

しかし、ファッション=ライフスタイルという大命題を掲げる僕たちとしては、
それはまったくおもしろくない。
だから、ここで臨むのは同時多発的、環境観念の誕生する一瞬に、
ファッションの価値を喪失させるのではなく、
この時にこそ時代と時代のズレという世界の割れ目を作り出したいと望みたい。

 

言い訳は後で何万通りと出てくるのだろうけれど、
どこの世界にいても真ん中でそれを楽しんでいる人の価値には追いつけないのだと

そう、切実に感じている