マロリーのゴースト エヴェレスト初期遠征隊と登山服 | Epokal

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エベレスト征服の挑戦
初期遠征隊の装備と
冒険の精神

万年雪に覆われたコダック
それでこそ大地の母神の
マロリーへの報えだろう

5minutes

http://www.mounteverest.uk.com

エベレスト征服の挑戦
初期遠征隊の装備と
冒険の精神

万年雪に覆われたコダック
それでこそ大地の母神の
マロリーへの報えだろう

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大地の母神チョモルンマ
ゴーストを追いかけて
マロリーの時代の登山服

万年雪に覆われたコダック
それでこそ大地の母神の
マロリーへの報えだろう

いつの日にか必ず、エヴェレストへ行ってみたいと願っています。
世界最高峰・第三極地・魔の山と言われたこの山も、
今ではツアールートが出来上がるほどの観光地ぶりだということもどこかへ抱えています。
それでも、もしも自分のスキルの内にルートを探すことができなくとも、
雪で覆われたピークをこの目で納めたいと、遥かヒマラヤを望むのです。
チョモルンマ。チベット現地に伝わる〈大地の母神〉という美しい名を冠したその山は確かに
未だ人々を魅惑するに足る魔性をまとっているのです。
1910年代。国威をかけ、その初登頂を是が非でも落としたかったのが英國。
北極点・南極点での失敗(確かに彼らはそれぞれの極地への挑戦と敗退を失敗と捉えていた)を
挽回するたに地球上の第三の極地エヴェレスト制覇を掲げた。
1921年から英国アルパイン・クラブは国家の威信をかけた、
言わばスポーツ精神を通り抜けた戦争の形相で次々と遠征隊を送り込みます。

 

・1921年 − 暗にルートファインディングを目的とした現地下調査

・1922年 − アタックメンバーを編成した最初の遠征隊(第二次)

・1924年 − 経験と実績を以て編成された第三次遠征隊

 

マロリーのエヴェレスト

マロリーのエヴェレスト

http://www.nationalgeographic.com

 

このどのエクスペディションでも躍動した登山家がいます。
エヴェレスト登頂史と共に連なるストーリーが語られ続け、そして世界最高峰の謎は伝説となりました。

George・L・Mallory ジョージ・リー・マロリー

彼の残した足跡が心をくすぐり、熱い情を駆り立てる事実を持てたことに、何かを感じずにはいられません。
果たして1924年のプレモンスーン期のヒマラヤで彼らは世界を落とすことが出来たのでしょうか。
コダックのベストポケットカメラも、約束の写真も、大いなる雪の母神へ抱えられる様に消え去りました。
あまりにも偉大なサミットへ向かって消えたマロリーは彼自身が偉大な夢でしか語られることが
できなくなった今エヴェレストはマロリーの山となったといって憚れるものではありません。

 

マロリーのエヴェレスト

マロリーのエヴェレスト

 

エヴェレストのゴーストを追いかけて、そこにあるから登る山は、そう語った本人と同化して
そこにマロリーがいるために触れてみたい山となりました。
彼とザイルパートナーに選ばれたサンディ・アーヴィンの運命についての憶測は、
未だに決着のつかない謎のまま残されているその神聖さに
冒し難い人間精神の云いようのない不思議な何かを持っているのではないでしょうか。
これまでに数度の捜索が行われたことや登頂に挑んだ遠征隊の証言から
いくつかのの手がかりが残されていることの確かな現実に
遥かな時間と遠いヒマラヤの空につながる気持ちが湧いてくるのです。

中でも、超人メスナーは彼の著書に明確な答を導き出しています。
マロリーの時代の登山服を含めたクライミングギアでは、
あのような高度でのセカンドステップは超えられないということを。
現代のベストクライマーであるメスナーの技術的な部分での示唆は大きな声の1つです。
このセカンドステップとは何なのか?
ファーストからサードまでの3つのステップが頂上直下に聳えるノースフェースは、
国勢によって限られた1924年当時のエヴェレスト登山の唯一の登攀可能な進撃路でした。
ノースコルを経由し、セカンドステップを乗り越える北東ルートの制圧こそが
マロリー以来クライマーに課せられた最大で重要なミッションとなったのです。
北東陵高度8610mにある頂上直下最後の30mの岩壁は、確立された現代の技術、装備、科学知識を
併せても無酸素で登頂出来る人類はほとんどないとされる難ルートです。
コンラッド・アンカーは実際1924年の遠征隊の状況に近づけるための忠実な下準備を行って、
セカンドステップへと取り付いた内の1人であり、
失敗に終わった1999年の最初の試みから2007年に再び岩壁に挑み成功させました。
この時のアンカーは「おそらくマロリーにも登れたにちがいない」とし、
世界中の登山者の間で登頂成功の意見が分かれていることも事実なのです。

 

では、装備品についてはどうでしょうか。
特に初期の遠征隊の登山服は1924年第3次遠征隊の肖像から
装備や登山服についての追求が研究者、愛好家の議論の種となりました。
当時の士官や将校の高級クラスはその制服や軍服を誂えで揃えることが常であり、
各遠征隊の隊員たちもバーバリー、ハリスツイードといった英国メーカーで準備を整えたとされています。
マロリーはスリーピース仕立てのハリスツイードのスーツに、
シープスキンのブーツという装いであることが確認できます。

エヴェレスト征服への挑戦にふさわしいミリタリースタイルのスーツであったことが見受けられます。

 

ところで、思いつくのです。

 

キャンプの前で隊員がそろって写真撮影していることなど、
登頂へ向けた最終アタックの装備とどれだけの隔たりがあるのでしょうか。
およそ、これはリラックスしたベースキャンプでの
生活をおくるためのスーツではないだろうかと気がつくのです。

そこで、実際のクライミング時の衣装はどうだったのかを知るのに最も効率がよく、

正確で無二の答を幸運にも手にすることが出来ます。
実は先述のコンラッド・アンカーこそがこの重要な鍵を握っていたのです。
彼がセカンドステップに臨んだ1999年の登山隊こそがマロリー・アーヴィン捜索隊であり、
様々な証言や検証をもとにエヴェレストへ向かい、見事に一体の古い遺体を発見します。

 

マロリーのエヴェレスト

マロリーのエヴェレスト

 

発見当初捜索隊は遺体のことをただ漠然とサンディ・アーヴィンの方だと思いこんだといいます。
しかし、身につけているものを調査していくうちに〈G・L・M〉と刺繍されていることに気がつきます。
が、それでも何故アーヴィンがマロリーのイニシャルの入ったインナーを着ているのか
しばらく誰も考えが巡らなかったそうです。

そして重要な登頂の証拠となるような何かはこの時も発見できなかったのです。

一番の核心を取り上げながら、その影や足跡をぼんやりと漂わせて、
マロリーを75年ぶりに還してくれた美しいこの機会を与えてくれたことを、
母神に感謝せずにいられるでしょうか。
マロリーの装備品から解る最大のことは、当時の遠征隊がどれほどの気概で
人類性を限界にまで突き詰めて挑戦したのかということです。
極限の寒さに地の果ての風雪に対抗するのにあまりに素描すぎる装備品に畏怖します。
マロリーの登山服はレイヤーシステムを考察して構築されたものに荒荒しく
繊細な英国人気質を身につけたものでした。

 

マロリーのエヴェレスト

マロリーのエヴェレスト

 

・発見された主な遺品

高度計

針を失った腕時計

マロリーがどうしても口にするのを嫌がったという固形肉

ポケットナイフ

愛妻の刺繍が施されたハンカチーフ

・・・・

 

そしてゴーグルはポケットの中に

 

・レイヤー

ベース シルク/ウール混紡のロングスリーブ スメドレー製

ミドル シルクタッサーのスポーツシャツ

ミドル シェトランドウールプルオーバー

ミドル 軍用シルクシャツ

ミドル ウールフランネルシャツ

アウター コットンギャバジン〈everywhere〉ジャケット バーバリー製

 

マロリーのエヴェレスト

マロリーのエヴェレスト

 

こうした装備の脆弱さを精神で乗り越えんとするところに
エヴェレストを克服した人類の先が見えようとしていると思うのです。

 

古い記事や関連した装備品のストーリーはすぐに調べることが出来ます。
それでもマロリーが帰ってこなかったことは変わらない事実でもあります。
ストーリーに触れたそれぞれの推理で現実の世界の伝説に触れられることを楽しみたいと思います。
恐らくサミットの雲海からチベット高原を彼方まで写し撮ったコダックは
チョモルンマの万年雪に覆われたまま失われたことでしょう
それでこそ大地の母神のマロリーへの報えではないのでしょうか

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