テーラー 紳士服 手振り職人 直か断ち 貝島正高 | Epokal

menu

MONOTONE 事実

紳士服にまつわる
人生・技術・愛の話
錆びた魔法の鋏と思い出

手振れ職人の神業刺繍や直か断ち技術。
職人の道具や技術もさることながら、
そこには「紳士服」を歩んだ職人の人生がある。

6minutes

紳士服にまつわる
人生・技術・愛の話
錆びた魔法の鋏と思い出

手振れ職人の神業刺繍や直か断ち技術。
職人の道具や技術もさることながら、
そこには「紳士服」を歩んだ職人の人生がある。

6minutes

READ LATER

発展を失った職人の技。
紳士服にまつわる人生と技術と愛の話。

テーラーに何故魅了されるのか。袖を通すときの感覚は
「勇気」を与えてくれる。その裏には様々なストーリーが隠されている。

僕は16歳で決断した。

その決断となったコレクションHussein Chalayanは、人生を変えたコレクションとして以前記事にも紹介した。

 

ht-tailor1

ht-tailor1

 

優等生ぶってた私は、ガソリンスタンドのバイトからキャリアをスタートさせた。
社会の無垢な風が冷たく感じる16歳の社会人デビューは今でも忘れない。
生まれて初めての給料で、真っ白なBMXを買い、とにかくレコードを買いあさくって夜はクラブで遊びまくっていた時代だ。とにかく、ファッションがしたかった僕にとって学びの場なんてどこでもよかった。

家の近くに開校50年男子が入ったことのない職業訓練校みたいなところに、年下の
女の子と一緒に再度学校に通い始めた。時速150キロのスピードで乾いたスポンジは、
どんどん技術と知識を吸収し、お直しでバイトをしながらパターンの通信教育も学び、夜はbarで働く。
学校のプログラムでは学ぶことがなくなった僕は、学校に紳士服の工場に送り込んでくれとお願いした。
そして何より大切だった時間としては、「紳士服」の工場で学ばせてもらったことだ。テーラー程の洒落っ気はないものの、本物が詰まっていた。そして、入学資格がなかった僕をミラノの学校が認めてくれ無事入学ができた。

 

ht-tailor2

ht-tailor2

 

そんな想い入れのある紳士服では、みっちりパターンを学びレディースの違いに悪戦苦闘する。
そして、ようやく工場の縫製フェーズで出会った小さなおじさんが佐藤工場長である。声が高く優しい工場長だ。
現在は工場も会社もなくなり、音信不通だが記憶には鮮明に残っている。
いつも驚きだったのが、何百回とパターンやチャコの案内線なしで、全く同じ形に襟をカット出来ることだ。
機械よりも正確かもしれない。まさにオーガニックスカウター。
そしていつもラペルのハ刺しと前立ての地の目を丁寧に作業していたのを思い出す。
鋏がボロボロで錆びているのに、ものすごく切れが良い。佐藤工場長がいないときに、勝手に鋏を使ったのだが、
1センチも切れなかった。職人の道具に魂が宿っており、
指紋認証で動かない機械のように感じた瞬間である。

 

ht-tailor3

ht-tailor3

L)http://www.pinterest.com M) R)

 

そして、紳士には刺繍も欠かせない。今はデータ刺繍がメインですが、
昔は「手振り」というネームを入れる技術があった。
そして、工場に遊びに来た手振り職人を紹介してもらったのだが、
今では電子入力でフォントを選び自由に刺繍も出来る時代だが、昔は専用のミシンで下書きなしの刺繍だった。
しかもフォントの雰囲気とその人の顔を見て字を刺繍していく。
その流れと作業風景は、
紳士服最大難関でもある袖付けの職人独特の動きにも似ていた。
字を書くより綺麗な刺繍がほんの3分で完成する。今では見ない職人技術だが、
この「味」や「1着までのストーリー」が、男を魅了させるのかもしれない。
動画は帯の刺繍をする手振り職人の刺繍技術。下書きなし。

 

 

その他紳士の関係といえば香水だ。英国王室御用達ペンハリガンのサルトリアルは、
サヴィルロウにあるビスポークテーラー、ノートン&サンズのアトリエのミシンの
油や機械の匂いなどにインスパイアされ、2010年ニッチフレグランスオスカーアワードを受賞した。
独特の匂いであるが、工場で働いていた僕にとってはどこか懐かしさも感じた。
ディエチコルソコモでも職人の道具にフォーカスしたディスプレイを思い出す。
特にディエチコルソコモは、10代に初めて訪れた際に情報量が多過ぎて酸欠状態になったのを覚えている。
毎日ディエチに行けると創造するだけど興奮がとまらずミラノ留学を決意したのも間違いない。
最近のセレクトショップではPBが増えセレクト感は失われ、エキサイティングな感情も存在しない。
店に入るなり失神する客がいても良いと思う。僕にとって聖地とも言える場所だ。
ファッションをスタイルにお店作りを長い間、本当の意味で完成された唯一の場所だと思う。
青山のギャルソンとのコラボショップ、ディエチコルソコモコムデギャルソンは
本当の意味で話にならないレベルだ閉店も当たり前の流れだろう。

 

ht-tailor4

ht-tailor4

L)http://www.pinterest.com R)

 

話がディエチに流れたが、
紳士服の歴史の中で忘れていはいけないのが、貝島正高だ。
40年前に「直か裁ち」ブームを作った人でもあり、当時の紳士服界ではキムタク的存在だったんじゃないだろうか!?
あの紳士用のL定規を巧み使い生地に直接頭で計算したラインを引いていく。
機械や技術が進歩した現代ではあり得ないのだか、基礎基本を持った男の強さを着るものに自信と勇気を与えてくれるのも
紳士服の面白さだ。
そして、その姿勢そのものがファッションではないのだろうか!?と最近また思い返すことがある。

 

ht-tailor5

ht-tailor5

 

話を佐藤工場長に戻そう。
九州でも5本の指に入るだろう憧れのおじさんに、なぜこの仕事を選んだのか?
どうしたら、工場長みたいな技術がつくのか、若い頃の僕は色々と質問をしたのを覚えている。
工場長は、紳士業界は環境だったと言う。
「当時は職を選ぶことなんてなかった。実家の近くのクリーニングの手伝いから、
選ぶ余地なくそのまま続けた結果だと。逆に何も考えてはなかった、
好きだとは感じていた。職人は誰でもなれる。やり続けてさえいれば必ず。」
今はその続けるという行為事態が難しくなった。「選ぶ=絞る」 のはずが、「選べる=絞れない」になった。
やはり、コアなハートに「好き」を感じなければ、絞れないということだろうか。
職人不足の世の中で、しかも繋がりバブル寸前の世の中に選ぶという行為に好きを叫び勇気を与えてくれるのだろうか。
今存在する紳士服には、そんな背中を押してくれる勇気を与えてくれるのだろうか。

 

ht-tailor6

ht-tailor6

L)http://www.pinterest.com R)

 

最後に、佐藤工場長との最後の会話は、ミラノに留学していた時に突然電話で、
反物の幅は紳士の見頃に合わないけど、家に余ってるからお前に縫っちゃろうか?
という唐突な電話であった。その時は引退間近で、家で暇しているようで、
やることはミシンと向き合うことだけみたいだった。
気づいたら始めていた紳士服が体の一部になり、引退後も続けられる感覚は、長年付き添った夫婦関係のようにも見える。

 

紳士服は「人生」と「技術」と「愛」を教わった16歳の青春の話である。

 

ht-tailor7

ht-tailor7

 

最後の写真は、佐藤工場長が昭和50年頃に数十年かけて作った、
数百枚にわたる紳士服の作業マニュアルをミラノに行く前に全て僕に預けてくれた。

READ LATER

EDITORS UTOPIAの「WANT」ボタンを
押したプロジェクトが表示されます。

EDITORS UTOPIAへ

※この情報はCookieで保存されています。
※SNS連携・記事のシェア等はされません。

    「READ LATER」ボタンを
    押した記事が表示されます。

    ※この情報はCookieで保存されています。
    ※SNS連携・記事のシェア等はされません。