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もう感じることのない未来
今はなき視線の背景

ヘルムート・ラング、サンローラン、マルジェラ、そしてマックイーン
光を失ったのは私たちなのか、それとも彼らのエモーションが
ファッションから遠く隔たれた場所へ離れてしまったのだろうか

ヘルムート・ラング、そしてアレキサンダー・マックイーン失ったのは私たちなのか、それとも彼らのエモーションが遠く隔たれた場所へ離れてしまったのか

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いまはもうないというタイトルなのだからその主たるものごとはもうないものである。
日々消耗し続ける月日を重ねようとしても年をとるほどカウントをこなしてしまう。
その主体がないというのだから、根拠はそれぞれの想像か記憶に依るものとなる。
記憶に残る、あるいは想像をオーバーランドしていくのは
ファッションにとってのユートピア的な最大の御旗となろう。

 

ファッションの世界ではたったの1年でも価値が入れかわる可能性があります。
その一時代だけでなく、価値そのものを作り上げたデザイナー、ヘルムート・ラング
ヘルムート・ラング本人がブランドを去ったのは2005年シーズンのコレクションとされていますが、
それでも私は、実際のクリエイションは2004 Autumn/Winterコレクションだと確信しています。
2005 Sprin/Summerのコレクションはフォルムや素材の感覚は澄んではいるが、
どこか鋭利な視点が欠けていたことを感じたのです。
最後のHELMUT LANGと銘打たれたコレクションにはそれほどまで落胆させられました。
ミニマリストの旗手がいなくなる想像よりも、ブランドネームの皮被りに寂しくなる
光を失うにも等しい10年です。
この年月にランウェイはどうして目を向ける必要があるのでしょうか?

 

gone but not forgotten

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ヘルムート・ラングはそのデビューからメンズファッション界にファッションとは何であるのか、
飾ることとは何の表現であるかをラグジュアリーなマテリアルを通した独特の視点とカットで問い続けました。
シーンを先導するに相応しい優越される目をもって研ぎ澄まされたコレクションで世界を牽引したのです。
ミニマルという言葉の意味をファッションの世界でHELMUT LANGのコレクションの中に見いだすことができます。
シンプルでもミニマムでもないデザインは、彼の中でのみ完成されるのかもしれません。
ラングジーンズを求める行列にバスストップが埋もれたのは光を乞う者の姿にも見えました。
クラシックカットと呼ばれたラングの細身のストレートジーンズは、
箔も錆もタイヤ痕も、ペンキでさえテーラードジャケットとスタイリングされます。
スラックスとジーンズのシルエットに黄金律を発見したかのような美しいフォルムに
モードの入り口を見つけた人も多いのではないでしょうか。

 

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ミリタリースタイルをモードに取り入れることも今となってはノーマルですが、
20年前のファッションにはすでにその先駆となるマスターピースがあったのです。
MA-1を昇華するカットワークは一種の神格化されたミニマルらしさが現れています。
単に細く細くしたコンパクトでディテールレスのアーバンデザインでは
シンプル、もしくはミニマムと表現するほうが適切でしょう。
ところが、ミニマルと謳われるデザイナーには引き算だけでは決して到達できないフォルムが見えていました。
MA-1やN3-Bをはじめとするミリタリーへのモードの感化、
ボンテージスタイルの理解は宇宙中でヘルムート・ラングが最も美しいのです。

 

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ファッションの舞台からhl-artへ転身して10年
かつてNYフラッグショップの窓から世界を見たミラーボールは
新しい価値を与えられた見られる側、アート作品となりました。
このミラーボールが映す世界が普遍なように、
ラング自身も変わることを変わらずに、ただ表現がアートになったのだと思うのです。
ミニマリスト・アーティストと呼ばれ、未来を見るデザイナー
ヘルムート・ラングは、どの今を選ぶのかが重要だと感じさせてくれます。

 

そうして正に「いま」という言葉を表現するのに相応しいデザインがただ一つだけ在りました。
アレキサンダー・マックイーンとは何は何でも美しかった。
1996年はちょうど一つの区切りを作るのに良い。
ファッションにとってマックイーン以前と以後にわけられるシーズンだったのです。
単純なパンツ、素っ気ないシャツ、肩の張ったサヴィルロウ製のスーツでさえ
マックイーンのデザインにかかると美しい色気をみせるようになります。

 

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その一方でパンクが精神であることを体現したデザインの天才は、
美しい数々のコレクションの中にいくつもわからないものを抱いていました。

 

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彼のつくるジャケットの袖がどうして身体についているのか?
ミラーワークのシャツがどうして必要なのか?
モチーフに対するアプローチがどうして四角い箱なのか?
なぜランウェイで舞踏るのか?
そして、地球と瓦礫の山になにをつめこんでいたのか?

 

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多くの評価を目にしても、なんとなく納得できないスノッブめいた誤謬がみえていました。
マックイーンを良いと言っていれば一流というような感覚です。
2つの異次元の解釈が、ファッションにではなくマックイーンに対する依存性のある毒薬であるのではないでしょうか?
誰にも媚びない本当のデザインは、誰にも理解できない世界を見ているのであって
世界がアレキサンダー・マックイーンの意思に気がつくのにまだ十分ではなく、
ゴールデンシャワーの美しさがどこへ注ごうとしているのかの理解は
まだこれから先のことだろうと感じずにはいられません。

 

マックイーンのつくる衣服は常にその時時の瞬間を切り取る視線によって態度を定めてきました。
彼にしか見つけられないハイランドが存在したのは事実ですが、いまやそこへは何者も到達することはできません。
自分自身が作り上げた階級によって反抗の息吹が犯されることになろうとは
誰にも理解できるはずのない彼だけの価値の代償なのです。

 

gone but not forgotten

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タイトルへの帰結、「いまはもうない」この主語とは「いま」なのです。
ヘルムート・ラングとアレキサンダー・マックイーンが発表してきたものこそ間違いなく、
その時時に着ることによって生命となるデザインでした。
そして美しい点はその最もすばらしい才能を二度とは感じられないことです。
ファッションがもたらせ得るハピネスにとって、
今やりたいことが直結しなければ、優越性の再来はないのではないでしょうか。
着たいものをこの時に着るからこそのモードの表現となるのです。
いまある意味を享受する視野がファッションにとって最も失われているセンスであって、
この冷静な能力が、転換期にあるファッションの壁を内側から打ち崩せる大いなるアビリティとなるでしょう。