pump 'Furious' Steven Smith
先越すぎるデザイン
フューリーはヴィジョンであった。
アーチがミッドソールを分割し、
そうして1stシューズが誕生した。
Air Maxのユニークな発想、ブランドを打ち破るために立ち上がった情熱が世界を変え得ることに感謝したい。Nikeに向けて中指を立てたのだ。
世界はいくつかの優れた創成期を物語ることができる。
Tinker Hatfield、Paul Litchfield、Eric Aver…..
もはや現在のファッションで見逃すことが出来なくなったスニーカーデザインの世界のビッグネームである。
それから、おそらく最高のレジェンドがSteven Smith。
30年近く、NEW BALANCE、adidas、REEBOK、Nikeと歴歴のブランドにおいて
名作とともに最前線で創世を牽引してきたフットウェアデザインの至高である。
1994年リーボック社から発表された最もタイムレスなフォルムを抱いたシューズ
〈Insta Pump Fury〉のデザイナーといえば一発で胸を熱くする。
ニューバランスのクラシックモデルの名作574、576、996、それに1500。
大学を卒業してすぐにはじめたニューバランスでのキャリアで手がけたこれらが
ただ一人のデザイナーによるものだと誰が理解できるだろうか?
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アディダスPhantom2、ナイキ Air Max2009、Spiridon、Shox Monster
すべてクリスマスのほしいものリストのトップにある彼のシューズデザインのプロセスは
常に機能にフォーカスしたもので溢れている。
ファッションは機能とパフォーマンスの結果にすぎず、商業的な意味で積み上げたものでさえ、
アイデアが正しいことであった為だとするスティーブンのルーツが
Walter Gropiusの創立したバウハウスのエレメンタリースクールであることは単純な幸運という理由ではない。
新しいデザインにアプローチするとき、彼が見つめるものは
「100ドル持っているとする、それから僕には1人の子どもがいてその子が何にその100ドルを使うのか。
僕はiPodを買おうとする子どもに対抗するクールな何かをつくらなければならない。」
スティーブン・スミスのアプローチとはこれである。
それにもかかわらずインスパイアが生まれないとき、
アイデアを乗り越えるのは自ら〈good 5 miler〉と言い切るランニングの時間にある。
ああ、インスピレーションはここでもこの世界に落ちていた。
ポンプフューリーのオリジナルデザインの制作を通して、
膨大なスケッチとともに強烈な議論があったであろうことは容易に想像できる。
スニーカーマーケットが確立された現在、20周年を迎える今日でさえ、
超キャラクターを纏うデザインを人々は恐れたのだ。
それでもスティーブン・スミスはフューリーはヴィジョンであったと言う。
そうしてグラファイト・ロードと呼ばれるファーストシューズが誕生した。
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開発初期から構想していたのは、グラファイトという半金属の元素鉱物を素材としたカーボンのアーチを構成して
ミッドソールを分割し、つま先とヒール部をつなぐブリッジユニットにアクションを持たせるというアイデアであった。
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とは言え、グラファイトまたはHexaliteという衝撃吸収素材の開発、ポンプシステムの搭載と、
今やリーボックの誇るデザインも、開発当時は企業としての黎明期にあり、
またReebok Classicと呼ばれた社内の保守的な空気もリスクを避けたい理由としては当然のものであっただろう。
80年代から一貫してイギリス国内で最も履かれたスニーカーが
リーボックのホワイトもしくはブラックのクラシックFree Styleである。
この看板商品を逸脱した新製品の開発には誰だって顔を背けたくなる。
ただ唯一フューリーの開発チームだけが熱を上げていた。
そして、時代はNike。MAXが世界中で次々とキャッシュを生み出していた。
マーケティングで苦しんでいたリーボックはAir Maxのユニークな発想、
殊にブランド精神を打ち破るために立ち上がった。
当時も今日もこのエモーションが企業、世界をも変え得ることに感謝したい。
Nikeが築き上げたテクノロジーの限界をブレイクスルーするために中指を立てたのだ。
いくつもの問題と構想の実現、プロトタイプの試行錯誤の上に実現した
この素晴らしいアウトソールのデザインは1994年発売当初のオリジナルモデルに見ることが出来る。
1996年に最初にアップグレードされた後、リフレクターの搭載等いくつかの改良が加えられた。
その年代ごとに復刻されてきたモデルも基本的な構造はマスターとなった’96モデルである。
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2000年代に入り何人ものデザイナーがリプロダクトをかけ、
いくつもの限定カラーが発売されたが1994年モデルのオリジナルカラーの実現はあり得なかった。
スティーブン・スミスというフットウェアデザインの究極が完成させたプロダクトに、
今もう一度触れるチャンスが訪れている。
〈insta pump Fury20〉の2014年に再発されるシューズは’94ソールのオリジナルデザインなのである。
フューリーの神髄はカラーリング、ポンプ、そしてマテリアルのカット。
スケッチと重ねてイメージし、構成を知ることができる。
ソールデザインのコンセプトと機能の実現を体得できるのなら、100ドル札は勇んで羽ばたくだろう。
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自身が当然シューズコレクターというスティーブン・スミスにとって最高の思い出とは、
1994年のMTV Music Awardsでエアロスミスがパフォーマンスした際、
スティーブン・タイラーがフューリーを履いていたことだという。
たまたまプログラムを観ていたスティーブンはそれを見て、絶叫した。
スティーブン・タイラーのそのフューリーはステージに用意されたものでもリーボックが送ったものでもなく、
自分で買いに行ったものである。
タイラーは退屈で最低なそれまでのシューズデザインから解放させた“FURY”を讃えたのだ。
エアロスミスのビッグファンであるスティーブン・スミスにとっては何にもかえ難いメモリーであるに違いない。
Jのいないストリートがマスターを失ったのと同様に「Walk This Way」は
ウルトラスターで行くのがStay Goldではあるが、それはまた別のストーリー
フットプリントはまだつづく