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2人のカリスマ舞踏家と
共鳴した2人の日本人
ファッションデザイナー

身体感覚が希薄になる現代社会において
存在価値が低下するファッションデザイン
は今後発展する可能性があるのか。

観る者の魂を裸にするような体験を与えてくれる踊りを共に創造した日本人デザイナーの身体への眼差しは現代の希薄な身体感覚には届くことはないのだろうか

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優れた作品を鑑賞した後には必ず大きなカタルシスを得る。絵画でも映画でもデザインでも
作品が放つオーラの様なものに包まれて、まさに浄化されるような体験。

そう何度もあるものではないが、同じものを何度見てもそれを感じるものもある。

絵画などに比べて、より直接的に感じるのはダンスを見る時だ。

人間という生き物の身体的な限界を超越したかのような動きには、思考することの無力ささえ感じる。

2009年はそんなコンテンポラリーダンスの二つの巨星が相次いで落ちた年として記憶されている。

その二人とは、ピナ・バウシュとマース・カニングハム。

 

shintai

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L) http://www.mondomix.com/ R) http://musique-art-vie.up.n.seesaa.net/

 

ピナ・バウシュが持つカリスマは圧倒的だ。彼女の作品制作を追った映画『PINA』の監督であり、
生前親交が深かったヴィム・ヴェンダースは映画の公開にあたり、下記の様に語っている。

「それは、ただの観劇ではない。五感を圧する体験だ──
ピナ・バウシュの舞台を観た人々は衝撃と至福の余韻に浸りながら、そう語る。
芸術監督兼振付家としてドイツのヴッパタール舞踊団を率い、世界中に熱狂的なファンを持つ
天才舞踊家は、バレエと演劇の垣根を取り払い、境界線を自由に行き来し、そのどちらでもない
全く新しいジャンルを生み出した。

伝統や常識と決別したピナは、ダンスという身体の言葉で、強さと儚さ、歓びと悲しみ、愛されたい
という願いと不安など、誰もが共鳴できる揺れる感情を表現した。

彼女の舞台に立ち現れる、人生のあらゆる局面を共に体験することで、観る者は魂を裸にされてしまうのだ。」

魂を裸にされることによって大きなカタルシスを得る。こんな圧倒的な体験はそう多くはないだろう。

 

shintai

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http://www.pina-film.de/
shintai

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http://dansedanse.ca/

 

マース・カニングハムは、チャンス・オペレーションと呼ばれる手法で、「偶然性」という方法的概念を
ダンスに取り入れ、いわゆるポストモダンダンスと呼ばれるダンス言語の新しい領域を切り開き、
前述のピナ・バウシュにも強い影響を与えた。

また、コンピューターなどのテクノロジーを進んで取り入れ、
「パソコン上では人体に不可能な動きを思考できる。テクノロジーは新しい扉を開けてくれる。
人体の限界のなかでもやれることは無限にあり、それを追求したい」と語っている。

 

shintai

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http://gillot-cunningham.operadeparis.fr/ 
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http://www.gilles-arnaud-sphere.com/

 

そんな二人の現代舞踏家は共に、共に日本人のファッションデザイナーと仕事を行っている。

ピナ・バウシュは山本耀司とマース・カニングハムは川久保玲とそれぞれ舞台衣装の制作という
コラボレートしているが、これは彼らが身体について深く洞察し、同様の感覚をもって衣服を
創造してきたからに他ならないだろう。

 

shintai

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http://ep.yimg.com/
shintai

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http://cdn0.walkerartcenter.org/

 

最終的な表現形態こそ違えど、どちらも衣服を用いて踊るという身体表現のもつ可能性の拡張をしたものであり、
身体への眼差しがあってこそ。

しかし、昨今のファッションデザインにはこういった洞察や身体感覚を揺さぶるようなものが少ないように思うのは
私だけだろうか?

テクノロジーが進化し身体感覚も再定義されるであろう、これからの未来に表面的なデザインに留まる事のない
ファッションデザインは欠かすことの出来ない領域であることは間違いない。

さまよう身体の変化への眼差しを、再度獲得する必要があるだろう。