PUMA スウェードというファーストシューズ | Epokal エポカル

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MONOTONE 事実

大流行に置き換わる
平常心という
ライフスタイルの微熱

流行やムーヴメントに嫌になる時
どこからでも還れる場所が欲しい
PUMAというスニーカーに宿る平常心

5minutes

大流行に置き換わる
平常心という
ライフスタイルの微熱

流行やムーヴメントに嫌になる時
どこからでも還れる場所が欲しい
PUMAというスニーカーに宿る平常心

5minutes

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Beastie boys
AD Rockとステップ
'90sから流れてくる日常

積み重ねられてきた足跡が
ライフスタイルと呼ばれる時
借物ではないファッションが生まれる

生活するリズムのなかで、新しい何かに心が動いたり、硬直したり、浮いたり沈んだり、
驚くくらいのスピードで世界の影を見送っている。

東京で生まれ、死に行くものに何か与えようとしていた。

 

これを手にしている最中から、あれもしたい、それも欲しい。
そうして同じ時に反対側ですり減らされていく本質。
時間の流れというムーヴメントは、閃きと雫を人生にもたらせるが、
時々、目を細めてその外れを見てみると、足跡で踏みつけられた痛みが荒涼と広がっている現実。

例えばトレンドという流れに疲れたのなら、

群れるなかでの切磋する力を見失ったとしたら、

ばかばかしいことかもしれないが、

頭のなかを整理してみたい。

 

Steven Smithというデザイナーを崇めるほど核心に迫った中で、敢えて見た、
NEW BALANCE1300の発表と、その瞬く間に完売したことを伝えたニュースに、
闇雲に高ぶるシーンの不安を抱えてしまっている。
世の中は確かに、スニーカーブームと呼べるほど、第何次かのカルチャーが確立されているようになった。
ただ、NEW BALANCE 1300は本当に即完売し得るほどの
オールマイティで凡庸なキャラクターなのだろうかといぶかしんでもいる。
つまり、どれほどの熱量なのだろうかと閉口。ロールスロイスはロールスロイスだ。
高級スニーカーのこれから歩むであろう道に不安を感じるのは、羨望からだけのものではないように感じている。

 

何というか、こうした漠然としたエネルギーの鬱積が、1990年代のあの日に抱えていた微熱を呼び覚ました。
中耳の奥からささやいてきた、初めはそっとしたノイズの様な中高音域のいびつが、
数週間ではっきりと音になって零れて、流れ出してきている。

 

Beastie boys 「Intergalactic」

 

それはそのあたりに転がっていたエネルギーの塊の様なHEADSたちの態度は斜めに見切った社会への、
体現化されたカルチャーとライフスタイルへの紛れも無いインビテーションだった。
あの時、Beastie boysに触れてわかっていたのは、自分たちのいる場所と、
これから勝取ろうとする明確な行き先だったのではないだろうか。

 

ちょうど、世代と世界が変ろうという時勢もあった。
象徴的な時間を外で共有した足跡に、今、還るべき場所の温度を再び汲み取ろうと反応したのだ。

それとも、

あの頃はよかった、で終わるような愚鈍な感性になっているのだろうか?

ムーヴメントの余波の勢いに気圧されて行き着いた先に今日が在るのだろうか?

 

suede shoe

suede shoe

http://burningflags.com

 

Beastie boysだけではないDef Jamサウンドが世界中の混沌としたHEADSに高揚の油を注いでいた頃、
1990年代のはじまりとは、まぎれもないファーストステップからのシーンがカルチャー化された、
各自のセンスに基づいた新たな時代のスタイルを昇華してさえいた。
この日、AD ROCKは、踏み込むべき世界と踏みにじり方と、そして踏むステップを与えてくれたのだ。

 

90年代といえば、日本全国のストリートにNikeのハイテクスニーカーが堂々と押し寄せて、
はじまりから最大クラスのウェーブが、シーンに火をつけはじめようとしていた。
けれど、ここで思いやりたいのは、実はそれよりもっと以前から
ヨーロッパで展開されたPUMAのモデル「STATES」についてである。
ユーゴスラビア生産のこのローテクスニーカーが
イングランドを中心にヨーロッパのカルチャーシーンに躍進を遂げていた。
このムーヴメントのプロセスと、今日のファッション好き、スニーカー好きの背景に、
重なり合うもの、それがライフスタイルという平常心に通う血液なのではないだろうか。

 

suede shoe

suede shoe

http://chimneychannel.com

 

動きを先導したのは他ならぬフットボールファンであった。

イングランドという島国ではいつもカルチャーは、フットボールかパブから持ち出されるのだろう。
カジュアルスと呼ばれた欧州カップ組のチームサポーターは、国外への越境フーリンガン遠征を繰り返す度に、
ヨーロッパのファッションから、只ならぬ嗅覚で洗練された感覚をミックスしていったのだ。

 

そうしたPUMAの誇るインターナショナルモデルのスニーカーこそが、
今日「SUEDE」と呼ばれているもののフットプリントである。
元々、モデル名のついていない競技用シューズとしてオリンピックなどで活躍したということも
遠い耳で聞いた気もするが、実際の現物としては「CLYDE」を手にしたという人がほとんどだろうと思う。
1990年初めのゴシップ誌に掲載された薄汚い靴に噛り付いていた頃、
インターナショナルモデルのSTATESがよほど好調なことを横目に、
日本のマーケットはオリジナル企画の復刻商品に集中していた。
これが功を奏したのか、徐々にPUMAはローテクスニーカーに対する視線を獲得していった。

 

とはいえ、Beastie boysやカジュアルス、それにカリフォルニアのスケーターが
呼吸するように次々とカルチャーを発信してくる中で、
少なからず東京の斜めに切られた少年たちは現行版「SUEDE」を待望していた。
インターナショナルモデルが紙面の片隅にちらちら見える度に抑揚を煽られたのは、
あの頃の、あの年頃の、微熱が手伝っていたのだろうか?

 

suede shoe

suede shoe

http://burningflags.com

 

確か、「Check Your Heads」のジャケットから数年は遅れて手にしたのではなかったか。
指を咥えて焦がれていたラスト「PK0814」というフルモデル。
何かを求めて、待ち、当たって、獲得したという意味でのファーストスニーカーは、
他でもないこのPUMA SUEDEにちがいなかった。

 

いつの日にか抱えていたフィーバーは、歩んできた道の通りに、
大きなものも、小さなものでも、それぞれが足跡になって、
ライフスタイルの積み重ねられたエレメントにつながっていくだろう。
それが「意思」という言葉に置き換えられた個性の指す方向になり、
積み重ねた日常に触れていると、自分自身の平常心にたどり着く。

 

suede shoe

http://burningflags.com

SUEDEというフットプリントを見返してみると、
決して借物ではないライフスタイルの一線上のファッションを眺めることができていた。

今日の「熱」に対するちっぽけな抵抗のように、
上々気分の平常に立ち戻ることがいい刺戟になるのだろうと感じている。

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