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無限遠の二倍で撮られた
写真に見たものは眼には
見えない普遍という水平

時として原理主義的な危険を孕む普遍
の探求を洒脱で粋に表現した杉本博司
とMartin Margielaの二人のモダニスト

時として原理主義的な危険を孕む普遍の探求を洒脱で粋に表現した杉本博司とMartin Margielaの二人のモダニスト

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世界の記念碑的なモダニズム建築物を、焦点を無限遠の二倍にして撮影した結果、
そのボヤけた写真には建築家が現実に妥協した結果として付け加わったディテールや
夾雑物が取り除かれ、建築家が頭の中で最初に構想したフォルムだけが残されている。

 

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http://www.eternal-optimist.com/
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L)http://41.media.tumblr.com/ R)http://arttattler.com/

 

建築物が具現化される前の、建築家の頭の中に描かれているイデアのような状態を
写真という手法で表現するというコンセプトとその作品を見たとき、写真という
表現方法が持つ可能性と人のまるで脳内イメージを見ているような不可思議な感覚、
そしてその厳格なコンセプトに基づく創作と制作過程における技術の高さには
憧憬の念にとらわれ、しばしの間、立ち尽くし見入ってしまう。

 

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http://scottsdaleintermediatedigital.files.wordpress.com/

 

杉本博司は、写真家としてキャリアをスタートし、現在は内装や能舞台、神社などを
中心とした建築作品も手がけているが、多くの作品において表現が試みられている
「時間」という不可視なものの可視化はアーティストならではの視点によるものであると
言える。

杉本曰く、アートとは「技術のことである。眼には見ることのできない精神を物質化する為の。」であり、
それはつまり、精神の一部が眼に見えるような形で表象化されたものである。

そもそもアートの起源、それは人間の意識の発生をもってその始源とするものであるということが言われる。
これは、音楽においても語られることであるが、人々はアートを通して「現実」を理解し、「見る」ことが
できるようになってきた。

杉本の洒脱で粋で、鍛えぬかれた鑑識眼と作法から生まれる磨かれた高度な水準と硬質なコンセプチュアルな
アート作品は、ファッションにおいてという形容は無意味にも思えるが、その普遍性を追い求める姿勢はやはり
Martin Margielaを想起させる。

通常、モダニズムの超克がポストモダンの命題になり、時として普遍性という根源への遡行は、その求心的な力学
において、原理主義的な危険性を孕んでいるが杉本にしてもMartin Margielaにしてもモダニズムのあくなき探求と
推敲と再発見、そして編集の実践という行為において、最も「正確な」ポストモダニストであると言えるだろう。

 

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https://drnorth.files.wordpress.com/

 

杉本が「人類の衣服の歴史は人類の歴史そのものと同じほど古い」をコンセプトに、「装う」ことを改めて問うた
「ハダカから被服へ」の展示おいて、Maison Martin Margielaの作品がなかったことは少し残念ではあるが、
彼らの眼をとして捉えられ、技術によって可視化された世界は、その普遍性とともに私たちの心に刻まれ続ける。

 

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L)http://farm3.static.flickr.com/R)http://artobserved.com/
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現代というすべての概念が並列化したデジタルテクノロジーの社会において、普遍性とは、普遍的な美しさとは何か。
そして、本質とは変化するものなのか。

杉本が初めて海を見た人類を想起して水平線を撮影した作品を前にしながらそんなことを空想してみる。

 

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http://tripoligallery.vaesite.net/