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Woodstockという伝説
ムーブと悲壮感の狭間

中指は居場所をなくした。
中指を折られて笑顔でいれる
フラットな現代に

気だるいジョニ・ミッチェルの背景にカウンターカルチャーの存在先の見えない高速道路とジョニ・ミッチェル

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気だるい高速道路でいつも聞く音楽がジョニ・ミッチェル。
どこと無く高速道路の憂鬱の共感と目的という長い距離への期待をさせてくれる声。

 

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そして大好きなのがWoodstockである。

 

 

Woodstockはその名の通りアメリカの60年代カウンターカルチャーの象徴ともなるロックフェスティバルだ。
以前にもヒッピー文化についてEpokalでも記事にしてきた。
この当時でいう独特のカウンターカルチャーは現代存在するのだろうかと、ジョニ・ミッチェルの歌声を聴きながら思う。

 

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タイトルにしているくらいなので、ジョニ・ミッチェルもWoodstockに参加しているのだろうと思うのだが実は違う。
当日はニューヨークのホテルの部屋のテレビの報道を見ていたという。
その行けなかった喪失感がWoodstockに対する想いを熱くしたのは間違いなく、その想いが歌となった。
テレビを見ながら歌詞を作ったという。

 

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この伝説のフェスに参加できなかった悲壮感は、強さに変わりクリエイティブに変わった瞬間でもある。
そして、カウンターカルチャーを外から見た人の表現には、どこと無く喪失感があり参加したかったという想いの記憶が
そこに関わった全ての人をアイドル化させてしまうのも確かである。

 

ファッションも同様なことが言えるだろう。
当時のカルチャーやムーブメントに参加できなかった、もしくは中心に入れなかった、当時の記憶に戻れるという想いは、
当時のブランドをアイドル化させるのは間違いなく、そこに対して優越感を得れるのならば追い続ければよい。
ただ、当時のカウンターカルチャーには、そんなものは無くもっと貪欲に目の前に立ち向かい攻めていた。
日本のフジロックとは全く別次元のもので、カルチャーが現代に起こらないのもそこにある。

 

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フラットになっていく世の中で、、目の前の疑問と戦う必要が無くなる世の中で、、
中指は居場所を無くし、へし折られたまま笑顔で周りと仲良くできるはずがない。
そう思ってしまう僕たちは、どこかでWoodstockのようなカウンターカルチャーの夜明けを待っているのかもしれない。
そんな想いを馳せながら、先の見えない高速道路で、またジョニ・ミッチェルを聞くのである。