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ファッションは
どこで生まれるのか

社会的理解からの逸脱
唖然とする消費者としての失意

リプレイされる合成添加物のいい香りに誘われてフライドポテトの夢を見る私たち。はち切れた胃袋を擦ると頭のなかで真っ裸にされる。

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Mac Sabbathのメニューで一番のお気に入りは何だろうか。

「Flying Pan」か「Pair-a-buns」といった名曲が候補としてノミネートされ、
Slayer Mccheese,Catburglarといったメンバーの、特にGlimaliceのパフォーマンスは圧巻だが、
Ronald Osbourneのリリックは誰の心にも沁みるセンシティブが感じられる。

 

A big red curly hair gave that customer quite scare

 

I once burned your meal

My old job was cooking veal

Now it’s culinary crime

All our future is pink slime

 

Everybody wants it

Turn this grease into gold

 

Everybody needs it

till They’re fat and dead

 

ニュースに映し出される食品・外食業界の骨と肉の露顕にキリキリと腹が痛み、
あらゆる安心はまるで嘘のように扱われていることが繰り返されるのはどうしてなのだろうかと考えてしまう。

そんな中で、本国アメリカのドライブスルーメタルバンドの世界への“混入”が革新的なのか、
ただバンドのT-シャツを売りたいだけなのか…
いや、はっきりと公式HP(フェイスブック)で断っているように、
バンドは真剣にやっているのだし、聞く側もそう受けとるべき内容がつまっている。

 

 

どのような場所でも企業というからには利を求めることは当然なのではあるが、
現在の食にまつわるビジネスでは、その組織的な本質が語りかけている。
というよりも、漏れ出していると言った方が的確かもしれない。
その声に思わず、唖然としてしまうのは消費者としての失意でもある。

落ち着いて慎重に見つめると、各メディアに登場するのはほぼ同一企業の事故に終始する。
特にビッグネームの失態はその対応にも批判の声が叩きつけられるが、
その一方で、ある見方からは集中砲火を浴びせるかの様な煽動的報道にも疑問を投げかける声もあがる。
だがそれでも、食品事故(あるいは事件)のきな臭さを焚きあがらせていると、
メディアを責めるのは、また違った話しなのではないかと感じてしまう。

 

物をつくるからにはエラーは起こり得る。人であろうと、機械であろうと、
ミスやロスのまったくない生産背景はないはずだ。
問題はこの失敗や損失、それからエラーで片付けられない問題にどう向き合うかである。
私にとって今日の食品の異物混入事件への胃のむかつきはこれが源泉にある。
どうして、同じことが繰り返されて、同じ様に腐った態度を公然と放つのか
不思議に思えてくることに不信が生じている。

 

このトピックを消化したと思った矢先、すぐに新しい、そして同じ内容物の
トピックがパッケージニュースになって流される。
衝撃的な事件も最早その鮮度を失って、私たちは受け取ることに疲弊する。
きっと、むこうではこのことを忘れてくれるものだと決めているのだろうし、
とにかく、初めはいくら社会的理解から逸脱した物が出てこようと、
段々と「ああまたか」「そうそう、そうなんだよね」というように鈍感になろうとする。
衝撃の痛みから目を逸らすような無意識の防衛が働くのかもしれない。
こうした消化不良の石コロをごっくりと呑み込むことを誰に求めるというのだろうか。

 

リプレイされる“生産”ラインから伝わる合成添加物のいい香りに誘われて、フライドポテトの夢を見る私たち。

はち切れた胃袋をさすっていると、頭のなかで真っ裸にされる。

 

今、エポカルで、擦り切れたシャツのことに触れなければならない。

衣服には、確かに人命にかかわったり、安全を脅かすといった意味のニュースはあり得ないのだろうか?

 

consumerism

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http://www.vogue.co.uk/fashion/autumn-winter-2014/ready-to-wear/chanel
 

2014年A/Wシーズンのプレタポルテコレクションでシャネルはパリの街にひとつのマーケットを作り出した。
「CHANEL SHOPPING CENTER」としたこのランウェイで、
モデルたちはショーケースの間を縫うように歩き出す。
肉を選び、ドリンクに手を伸ばす。ワゴンの中からお気に入りのものを探し出す姿は、
ただ普通の買い物の風景である。最新デザインの講釈は各々に譲ることにして、
その風景にシニカルを見るのは私だけではないのではないだろうか。

 

 

ショー終了の放送がスピーカーから流れると同時に、当店は終了しました。
商品はどうぞ自由に持ち帰ってくださいとアナウンスされたそうだ。
当然、招待客は好き勝手しながら“お買い物”を楽しむ。
場はシャネルのコレクションであるから、フロントロウには
さらに上書きするような大物ディレクターや著名人、芸能関係者が集まって、
御神力の発揮されるままのシャネルマークのついた商品に群がるといった画である。
ここにカール・ラガーフェルドの発想なのか、シャネルの御旗の下に何かの意思が見える気がした。

その何かが私たちの本当の価値体系をぐらつかせるのに十分な影響力を持っているのかは疑問である。

 

そもそも、デザイナーであってさえも生産手段としての背景の元素にまで、
気にするものはほとんどいないのかもしれない。
色柄や風合いに強度、それから仕立て具合やコストに向かう視線の端にでも、
例えばコットンが生地、いや糸に生成されるまでのプロセスと犠牲を捉えていたい。

 

世界市場で席捲したメイド・イン・チャイナに代わる低コストの代替は、
もうすでに同じアジア圏に広がっている。
食品とは違って「腐らない」繊維製品は温帯の東アジア・東南アジアでも十分抱えていられる。
もちろんウールやレザーといった素材は高温・多湿では劣化が進行しやすい環境となっただろうが、
低コスト・低プライスという底辺への争いにそうした杞憂は存在しない。

誰にでも与えられるファッションという大儀を掲げて、低プライスで高クオリティとされる展開で、
いくつかのメーカーが勝取ったストーリーを全員で追いかけるには、頭も品もなさすぎるのではないか。
本当の意味での展望が見えてこないようにも思える得意の人海戦術は、
アジアを中心に世界の工場を自負するまでに膨れ上がった図々しさを見ればよくわかるが、
かつて隆盛を誇った欧米の巨大マーケットを下支えしたのが
奴隷や若年層による労働力であったことと同様の現実が、今この時に起き続けている。

 

consumerism

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http://www.historyplace.com/unitedstates/childlabor/
 

恐れたいのは、都市の郊外にありふれる何かの工場で働くということが、不法就労や最低賃金、
過労や不衛生といった最低のモラルの底辺でさえ見えてこないような悪状況であるということを、
私たちだけではなく、当事者である人々もいくらか理解しているということである。
特に若い女性に多いと言われていることではあるが、
寒村にいれば何十人分もの家事仕事を一日中休む間もなくしなくてはならず、
いつの日にか顔も見たこともないような年嵩の男のところへ豚か鶏何羽かと交換されて嫁ぐことになるらしい。
まさに奴隷だといい、それに比べると、不法だろうが最低だろうが都市部へ来て何年か辛抱すれば
貯金もいくらか出来て、ショッピングセンターに買い物へ出かけられる。
何より、自分の意思で自由に歩き回れることが楽しいのだというレポートがある。

 

これを見て最初に感じるのは、無為であった。不条理とも捕捉されるのかもしれない。
おそらく100年以上前のアフリカ系アメリカンのルーツはこうした気持ちを持っていたのかもしれない。
しかし、今21世紀の、情報や知識という財産を容易に手に入れられる、
これこそ“誰もが”持つべきものであるはずだ。
つまり、世界や歴史を学べば必ず正解に最も接近した答えをだすことができる。

幾年か後に終わりがくるという答えを。

どんなに理由をつけても、その仕事を自分の子供にもやらせるのかという質問には口を閉ざすだろう。
簡単ではない問題だが、現状は決してベターではないことを知らなくてはならない。

 

衣料品の嘘で、私たちが死んだり、傷ついたりすることは考えられにくい。
食品問題のそれは、多くのアンフェアな体制が縺れて、直接ユーザーの身体へ絡みついてくる。
食べ物に混入した異物は、地球に置き換わった「わたしたち」なのかもしれないと感じる。

ファッションのアンフェアなレートは人に対してではなく、本来は地球環境と対峙しなくてはいけない問題である。
限られた資源環境を蝕む消費社会というワードはもう飽きられた表現なのだろうか?
いらないものを買うことはないが、欲しいと思うものといるものがつながっていないことはよくある。
考え方やライフスタイルによって、手に入れるという行為に大きな隔たりがあることも理解できる。
ただ、本当にムダになっている物事が多くあるという事実がここにあって、
「石コロ」はどこにでも発現し得るのだから、それでも目を向けるという模範を日本から示したいと思う。

 

ひとも環境のひとつという当たり前のことを大切にする

このあたりで新しいファッションに期待してみるのはいかがだろう