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型破りな前衛華道家の
中川幸夫の生き様に見る
創作の原点と向き合い方

多くの表現者に影響を与え続けている
中川幸夫がいけばなを更新した様に
ファッションも更新できるのだろうか

「いけばな」を更新し続け多くの表現者に影響を与え続けた中川幸夫の生き様を見て考えた。果たしてファッションも更新できるのだろうか?

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先日の記事でもご紹介した、作庭家の重森三玲にその才能を見出され流派が絶対的な
ヒエラルキーが形成された華道の世界で、「圧倒的に自由であるために」流派に属する
ことなく、花を生け続けた芸術家・中川幸夫。

彼の作品は、その生き方同様に苛烈であり「生花」というカテゴリーを超越し、観る者の
美意識を揺さぶる。

 

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 http://fashionjp.net/
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http://fashionjp.net/

 

いつの時代にも、優れた芸術とは社会通念を揺さぶり我々に問いを投げかけてくる。
本当に美しいものとは何か?常識は本当に正しいのか?そして、そのままでいいのか?と。

中川幸夫は、幼時期に脊椎カリエスを患って以来、曲がった背中と共に反骨精神を身にまとって
創作活動を行ってきた。

流派いけばなの決まり事に疑問を抱き、花本来のあるがままの命をとことん見極めるために、
最大流派池坊に脱退通知を叩きつけた。

戦後間もない1949年に、創刊されたばかりの専門誌「いけばな芸術」へ送付した花の作品写真が
重森三玲に認められ、世に名が知られるようになった中川は、1951年、白菜を活けた「ブルース」
という作品についての見解の相違がもとで家元と衝突、流派いけばなの決まり事に疑問を抱き、
花本来のあるがままの命をとことん見極めるために、最大流派の池坊脱退声明を表し、
33歳で流派を去る。

香川県丸亀市から東京に乗り込んだ中川に、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった草月流の勅使河原蒼風は
「恐ろしい男が花と心中しにやって来た」と語ったと言われる。
流派を否定し、弟子を一切取らなかった孤高のいけばな作家は、極貧の中で花を生け、死と向き合い続ける。

 

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http://www.natsume-books.com/

 

そんな彼の生き様や花と向き合う姿勢、そこから生み出される作品は多くのクリエーターに
影響を与えている。

瀧口修造は、中川の『花坊主』と出会ったときのことを「花をいける、という逆説の現場検証。
そして、いけばなという石のような固定観念の静かな瓦解すらが視える」と記している。

重森三玲が同じく枯山水という固定観念を瓦解させ、更新したように中川も流派に縛られ
更新されることのなかったいけばなに更新をもたらしたと言えるだろう。

 

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http://fatale.honeyee.com/

 

また、自身もフラワーアーティストとして活躍する東信は、中川の作品と出会い、
その魅力に取り憑かれた一人である。
その衝撃は「セックス・ピストルズを聴いたときと全く同じもだった」と話し、
中川から花との向き合い方を学んだと語る。
植物を一度殺して、それを活かしていくという仕事において、花との距離を極限まで
縮めて真っ向から向き合う。

ファッションでは、comme des garçonsは青山店で中川の個展を開催するなど、
中川の作品をより広く世間に認知させるべく度々取り上げている。
彼の作品や彼自身から漂うパンクやアナーキーというイメージを川久保玲が自身とダブらせて
いたであろうことは容易に想像出来る。

2005年に宮城県美術館で開催された中川幸夫の展示に際して、中川にひび割れたスーツを仕立てた
UNDERCOVERの高橋盾も彼の作品に度肝を抜かれた一人だ。

既成概念を打破し、独創的な創作を行い、それすらも自ら壊してまた新しいものを創り続けた
中川の姿勢には、創作の原点を見ることが出来るだろう。

 

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http://azumamakoto.com/

 

中川は、弟子を取らなかったことでも知られているが、後進の作家たちとは交流を持ち、教えを授けていた。
中川はそんな彼らに、「鏡を見ることを忘れずにね。鏡で自分の目を見るんだよ。瞳の輝きを失わないように。
今のその輝きを失わないようにね」と語っているそうだ。

私の、そしてあなたの目は輝きを失ってはいないだろうか。