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クルマという乗り物
クルマという方舟
×ライフという大きさ

まちを走るクルマを見て憧れる。
クルマと走って感じる。
僕たちのカーライフ。

ムリして乗る。理由を考えて乗らない。クルマというロマンスの乗り物が送る買い物のセンスと日常の大きさ

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自動車という乗り物は不思議な感覚を抱かせることがある。
シーズン毎に送り込まれる新型車には何百万もの値札が貼り出されるが、
一度誰かが期待や夢を詰め込んで乗り出してしまえば、
その価値は見る見るうちになくなってしまう。自動車の他にそんなことがありえるのだろうか?

まあ、あるのかもしれないが。しかし、自動車が特別なものであることは、
その視線が外へ向けられた時にだけ価値が暴落するということにある。
ほとんどすべての場合、持ち主にとってそのクルマはかけがえのない価値を宿らせることになるものだ。
子供の頃、一直線に見つめていたクルマへの思いはいつまでも気持ちの良いパートナーであり続けることだろう。

 

TOYOTA 4 Runner 1985

vehicle and arowana

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http://www.backtothefuture.com

 

良い思い出と良いクルマは時間を超えて走り続ける。
『Back to the Future Part1』で、マーティーがTOYOTAの『4 Runner』を絶賛するシーンは、
時代を超越した一つのクルマへの大きな賛辞を呈している。
SUV大国アメリカにあって、FORD『Bronco』やChevy『Blazer』といったフルサイズの重量車を差し置いて
日本企業の製品を多用したことも忘れたくない光景であるが、
あるいは『Hilux』の北米仕様車『4 Runner』は、TOYOTAという名のついたアメ車なのかもしれない。
確かに、日本の渋滞事情を鑑みるよりも、広大なワインディングロードをひた走る姿を子供の頃は夢想していた。

 

Chevrolet El Camino 1968

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http://www.imdb.com/?ref_=nv_home

 

『エルカミーノ』1959年の第一世代のプラットフォームは、
何を隠そう、アメリカングラフィティでお馴染みの白の美人『インパラ』をベースに開発されたものであった。
実用性を重んじての『インパラ』ベースを採用したはずではあったが、発売当時販売数は振るわなかったという。
しかし、1964年に『シェベル』をベースとして生まれた新モデルは
地球上最もパワフルなエンジンを搭載したピックアップトラックになる。
パワーパフォーマンスがまったく失われてしまった後期モデルよりも
コントロール制御を持たない最強の『エルカミーノ』にどうしても肩入れしたくなる。

 

例えば、海へ向ったドライブ。何年間も通い続けた道。東京タワーへ馳せるアスファルト。田舎へ続く道。
記憶になってしまう前のすべてのリアリティにとって、持ち主である僕たちといつも同じ空気を囲むところ、
クルマは単なるモノゴトの一つでありながら、簡単に気持ちのどこかある部分を越えてくる
ライフスタイルファッションという全体のことが詰め込まれるような気がしている。
しかも、それはいつでも動き出すことができる!

クルマとはいつまでも憧れの部分と自分自身の姿が合さってかたちになったものなのだろう。

 

vehicle and arowana

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http://patagonia.tumblr.com

 

今日、多くの人々はライフスタイルを大切に暮すことを求めている。
僕たちはライフスタイルが僕たちに還してくれるフィーリングを求めていると言っていいのだと思う。
少年の日の憧憬はどうやら、今でも続いているもののようで、
クルマという具体的なかたちを伴ってそのことを大切にすることが
自分自身にとって一番たいせつなことなのではないだろうか。

 

Pontiac GTO 1968

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https://www.facebook.com/boyhoodmovie

 

世界中にアメリカンマッスルカー、そのなかでも強烈な『Mopar』と呼ばれるモンスターを知らしめた
『Pontiac GTO 1968』は、いくつもの映画に登場するが、
6才のボクが、大人になるまで。』に登場する時間の流れの象徴化したGTOのシルエットは、
原題『boyhood』に相応しく、今の僕たちの心情に最も深く忍び込んでくる。
何年も何十年も大切に乗ってきたクルマは、今度はヴィンテージであったり、
クラシックというタグを引き連れてきてくれる。
自分の顔を磨くように愛情を込めてメンテナンスされたクルマには誰もが一目置くようになるものである。
そのことも何だか自分のライフを褒められているようでうれしくなるに違いない。
そして、劇中のメイソンシニアのように、それを売り飛ばしてミニバンなんかに買い換えるということも、
そこら中にあり得る大人の話しである。
イーサン・ホーク演じるメイソンシニアの台詞に心底参る場面がある。
クルマと男の生き方につながるシーンはきっと観てもらいたい。

 

何世代か前の男性の話しになると、クルマという乗り物は少々無理して買うだとか、
それを励みに頑張るとかといった、お慰みの精神論が憑き物であった。
今、クルマという買い物もまた、若い世代が振り向かないのだと決められている。
しかし、よくよく考えてみるとそんな叙情はまったく似合っていないということに気がつく。

 

何でもよく見渡せるようになったというだけで、
根本的にクルマが持つ魅力が僕たちに届かない訳ではないのではないだろうか。
確かに何でもよく知ることが出来るようになった僕たちは、
あやふやにされた価値観の上で転がされて馬鹿を見ることを恐らくはしない。
ライフスタイルファッションとしてのクルマが僕たちの生活の中に空気感として顕れてくるのだとしたら、
今日の6才の子供たちを見ればすぐに理解することができることがある。
クルマというかたちに対する思い入れは何世代も超えて見る共通の夢だということは明らかであって、
大人になるどこかの階段でいつの間にか大切なかたちを見失うこと自体はよくあることではないか。
それでも失ってなお重要なそのクルマの正体こそは僕たち自身の姿なのである。

 

そこには無理や頑張りといったセンスよりも、
積み重ねられ、約束された自分自身のことを正当に見ていたいと願っている。

 

Mercedes Benz W123 280TE

vehicle and arowana

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http://patagonia.tumblr.com

 

街中から大自然の中へ、田舎道からビル郡を縫い込むように連なるハイウェイへ、
クルマというかたちはそれぞれの姿を運んでいる。
側から見ているとそれは日々と人生の歩みにとても近いものだと感じることが出来る。
小さな世界で育つ人生は、その社会の箱そのものに収まる。
中くらいの箱は中くらいの、大き目の箱の社会には大きめの許容がある。
重要なのはどれを選択するのかということではなく、
世界に包み込まれながら、世界を渡り歩ける個性は、
その都度新たにアップデートできるセンスを持っていることであって、
それぞれのステージ上でトランジットするかたちがあるということなのではないだろうか。