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リンダ・マッカートニー
が撮り続けた現実は虚構
のロマンまでも包含する

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その人にしか撮れない一瞬がある。
それ故に、強く惹かれるのだろう。

リンダ・マッカートニー。

その名を聞いて、すぐにそれが誰であるかわかる人は
おそらく、そんなに多くないだろう。

憧れの写真家としてリンダ・マッカートニーの名を挙げる人に、
私はまだ出会ったことがない。私以外には。

ポール・マッカートニー、ステラ・マッカートニーという名前を聞いて
はじめて気づく人の方が多いのではないだろうか。

そう、何を隠そうリンダはポール・マッカートニーの妻でありファッションデザイナーの
ステラの母親である。

 

linda

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L)https://farm4.staticflickr.com/ R)http://www.kboing.com.br/

 

活動や作品を通して夫婦、母娘、大いにお互い影響を与えていたと想像できる。

夫にとっては戦友というよりも、その時代の空気を共有する親しき友として。
娘にとっては、立ち返ることのできる原点であり、幼い頃のファッションの師として。

そして、娘のステラ・マッカートニーは今自分の子供たちとの母親として、ファッションデザイナーとして
世の女性たちに憧れと共感を与えている。

また、ステラが作り出すナチュラルでスポーティ且つ都会的なファッションスタイルはエフォートレスな
ファッションの先端として支持を集めるとともに、ファッションにおけるエシカルを強く打ち出して、
動物愛護にも熱心であり、「家族と過ごす時間が最も大切」と語るその姿勢は、母であるリンダの姿が
リンクする。

 

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http://blogit.iltalehti.fi/

 

彼女はどちらかというといわゆる広告写真家ではなく、生活しながら現実をありのままを

映し出す、そんな写真家である。

ポールと結婚してからは記録も兼ねて、家族写真を撮ることが多かった。

 

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http://i.dailymail.co.uk/

 

写真の持つ力とは、矛盾の共存を可能にできるところである。

今、貧しい人の写真を撮るとする、ドレスとジュエリーで着飾れば虚構が完成する。
そして同時に、貧しさが現実にあることとして記録される。

「虚構と現実」

虚構を追求していくロマン。現実を直視していく慈愛。
始まるところは同じくして背中合わせの美的価値観である。

自分の美意識をどこに置くかでその風景は変わってくる、
それはすべてのことに言えることだ。

価値を持つということで初めて価値が生まれる。

そこに横たわっているレンガが美しいと感じれば、それは芸術作品となり
現実の姿をも映し出す。

彼女の撮る写真は慈愛であろう。

ある意味、領域を超えるパーソナルスペースというものが昨今言われていたが、
まさしくその「きわ」

 

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完全に破壊するのでなく、傍観しすぎず相手にとってちょうど良い距離感を保っていた。

彼女の映し出す60年代のアーティストたちのその表情。

 

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http://farm4.static.flickr.com/

 

全てがアンバランスな中にしっくりとはまっている。あと少しタイミングが違っていたら?

この瞬間は二度と見ることのできない、本当のタイミングを掴んでいる。

彼女の撮影は、かっちりした仕事というよりも、友人と出かけて何気なく写真を撮ること
心の底から彼女に信頼を寄せ心を許しているものは素のままの、本人でも知り得ないような
雰囲気を醸し出していることを感じとれる。

その一方で誰にも、自分の本当の姿を見せなかったアーティストも多い。

笑顔なのか、作り笑いなのか、なんとも言えない表情。
彼らは一人孤独を抱えていたのであろうか。

ジャニス・ジョプリンやボブ・ディランの場合は、たとえ数々のアーティストを近くで
撮影してきたリンダにさえも、なにか違うことを感じさせた。

彼女の写真からは人の姿とその奥に秘めた感情が映し出されている。

着飾った美しさだけではなく、今この瞬間に美しさがあると価値を見い出し、
現実を写し続けたリンダにはわかっていたのではないだろうか。

現実を見続けることは、「虚構」であるロマンを生み出す瞬間までも
目撃していることであると。

 

Text by Eri Matsushita(User Writer)