旅の本を読みつなげる冒険 | Epokal エポカル

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本から旅へ発つ高鳴り。
旅の本へ還る静けさ。
旅と都会を行き来する完全なるパターン

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心にはいる冒険
旅する理性
動く本を読みつなげる

人生には経験がある。
人と会うことで得られるもの。
旅に出て出逢うもの。

とても多忙な毎日の中、旅に出ることで日々の潤いを保つ人も多いのではないでしょうか。
一声に「旅」と叫んでみても、そこには人の数だけ様々なかたちがあるものです。
現実に、たった今そこのドアを開けて外へ飛び出すことが出来るのであれば最高です。
ですが、ほんの少ししかない休日の時間の中でいつでも思うように出かけられるものではないということも
現代に生きる僕たちの嫌な癖です。それでも都市生活にあって中々出発することができない人にとって、
日常から離れて外部からの体験に身体を曝すことを求める心地は同じものなのかもしれません。
そうして都会派、自然派どちらにとってもやさしくドアを開ける場所、本の中の体験へ旅たつのはいかがでしょうか。

 

INTO THE WILD / 荒野へ

Jon krakauer

journey through the past

journey through the past

 

今からおよそ20年前のアメリカで実際に起きた事件を中心に据えたストーリーは、
ある意味ではドキュメンタリーでもあり、
その実の内容は作者『John Krakauer』の想像によるフィクションでもあります。
ところが、一般にドキュメンタリーやルポルタージュの手法は
主題を公平に扱うことが名目なのに対して、Krakauerのタッチは敢えて少し違えています。
自身が登山家を目指した時期もある程の腕前を持つ、自称サンデークライマーは往往にして、
主人公であり、一般的にはセンセーショナルな事件を引き起こした張本人である
『Christopher McCandless』という青年に様々なことを語らせます。

 

journey through the past

journey through the past

http://www.christophermccandless.info

 

この本の執筆はChristopher McCandlessの手紙や日記、彼の友人たちの証言をもとに作られているのですが、
物質的に裕福な社会環境に育った一人の青年が『live simply』という日々を求めてアラスカへ旅たつところから、
最期に通じるまで流れる空気感は間違いなく作者であるJohn Krakauerが‘肩入れ’しています。
アラスカへ向う旅路ではなく、現代的な生活に暮す私たちに問う内省の行間に
それぞれの旅を見つけることができる一冊になるのかもしれません。

 

INTO THE THIN AIR

登山行について書かれた本は、そのほとんどが日常世界から遠く隔てられた地域の風景と、
サミットに向うまでの心情を中心に展開されます。
良い本は、それぞれの心の風景を読み取ることで
僕たちは旅そのものよりも、その人のことを思うようになるものです。
それでも冒険旅行そのものを読みたい人のために、まったく別タッチのドキュメンタリー作品があります。
世界最高峰エヴェレストでの大量遭難事故に、偶然居合わせてしまったJohn Krakauerが
その始まりから終わりまでを丁寧に描き出した『INTO THE THIN AIR』では、
エヴェレストの商業登山が問題視され始めた1996年に起きた実際の事故から、
冒険とは誰のもので何を獲得するためのものなのかという始原の旅を見ることができるはずです。

 

 

空白の5マイル

角幡唯介

journey through the past

journey through the past

 

探検家『角幡唯介』が欲しかったものは、つまり未踏というものでした。
21世紀のこの世界において本当の「冒険」は成り立ち得るのかという自身の命題にとって、
チベットのツアンポー峡谷は正にそれを適い得る場所でした。
前に進むしか生きる道が残されていないという絶望からの生還を果たした時、冒険者はひとつの境地に至ります。

 

「命がすり切れそうなその瞬間にこそ、生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。
 冒険は生きることの全人類的な意味を説明し得る、極限的に単純化された図式なのではないだろうか」

 

角幡さんの作品にあるのは、すべて「行為」の精神的で単純な部分であることを感じることができる。
同時代を生きる人としての角幡さんの行為は、そのまま全人類に共通する、ある‘感覚’を麻痺させるのかもしれません。
「生きる」ことと「行為」を求める姿勢は、
人々が冒険に至る境界へ立つことを意識させるものであるべきだと明確に示されてさえいるのです。

 

 

The Starship and the Canoe / 宇宙船とカヌー

Kenneth Brower

journey through the past

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「これからの人類が目指す先は、宇宙である。」というのは、
宇宙への人類移住計画という途方もない目的のためにロケット開発を目指した
世界的に高名な物理学者フリーマン・ダイソンの宇宙への偉大な旅を最も一般人向けにした一端です。
実際に、現在の宇宙旅行で用いられている燃料ロケットによる‘出発’は、
フリーマン・ダイソンの好みでは決してなかったのではないでしょうか。
彼のアイデアでは、人類を乗せた宇宙船は核爆弾を爆発させながら推進力を得て、
宇宙空間を弾け飛ぶ様にして進んでいくというものであったと言うのです。
天才と呼ばれる人の考え方は、はじめ普通には理解することは難しいことです。
フリーマン・ダイソンは、人類史に残る科学者に間違いはありません。
そして、彼の宇宙船に対する理論も当然一方の極端に間違いないのです。
ところが、その一極端の正反対にあるもう一つの極には彼の息子『ジョージ・ダイソン』が佇んでいます。
16歳で親元から飛び出したジョージは放浪の旅を経て、これもまた一つの境地へ向うのです。極北の海へ。
かつてアラスカインディアンが海の覇者だった時代、あらゆる技法のカヤックが存在し、
自然と同一化したインディアンは卓越した技術でこれを操りました。
ジョージはこの遠い記憶の中の原住民たちのスタイルを、
彼の科学の中に取り込むかの様に海と自然に吸い込まれていきます。
彼の生き方とは、彼の父親が脱出しようと試みた「地球」そのものと同化することだったのでしょう。
息子ジョージが作る古いインディアン型のカヤックは、文明から逃れるための舟でした。

 

journey through the past

journey through the past

https://www.ted.com/speakers/george_dyson

 

そして父ダイソンが構築した計算式では、人類は核爆弾を用いた宇宙船で地球から出て行こうというのです。
それにしても、ダイソン親子の仕事は虚構でも夢物語でもありません。
この本に描かれる2人のダイソンは、究極の極端でありながらそれぞれのフィールドで、
いつでもその景色の中に溶け込んでしまえる様な自然体で生きています。
文明主義と自然主義の両極端の住民だと思われた2人が、
実はそのまま同じ極端に一致した存在であることを知ることが、
今の世界にとって大切な何かを灯す道標になるのかもしれません。

 

 

どの本も何気ない毎日の大きさを直接語りかけてくるものではありません。
しかし、人にとって旅する心がどこへ向い、何のために行われるのかということにおいて、
これ以上ないまでに明確に描かれてることは事実です。

社会生活の中では当たり前になりすぎたことが多すぎて、物事が見えづらくなりがちですが、
慢性的に弛緩がつづく抽象的な日々から少しでも自分の元へ還るために、
僕たちには体感が必要なのではないでしょうか。

荒々しい『ぼうけんのしょ』は、或いは過剰すぎるのかもしれません。
けれども、一つ一つの本に埋め込まれた意思を見つめることに、
旅を読む価値があるのだと信じたいと思うのです。

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