SUNSPEL ブリティッシュ下着という着心地

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MONOTONE 事実

飾りの要らないセンス
ピュアな目線をつないで
大切にしてきた糸を着る

自分のために着るファッション
シーアイランドコットンの純粋で
プレーンという着心地の選択

60/12minutes

飾りの要らないセンス
ピュアな目線をつないで
大切にしてきた糸を着る

自分のために着るファッション
シーアイランドコットンの純粋で
プレーンという着心地の選択

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真白いTシャツに見る
はじめの一歩
自分の居住いという心地

世界中に渦巻く在りとアラユル問題
遠大に隔たり敬遠して放り投げる前に
自分の内にあるベーシックを考える

街の景色が白む寒い冬に暖かい空気を纏うことができて、
目の前が霞むような暑さに涼というサーマルを着ることができる。
インナーに着るシャツの着心地は、各各の季節の、
それぞれの街に適合った快適さを求めながら選択するようになりました。

 

ファッションという日々を支えるシーンにも少しずつ、それでも確実にテクノロジーは進化しつづけています。
そんな人類科学の明るい光と同じ様に、たった一枚で晴れやかに日常を過ごすことができるのは、
コットン100パーセントのオーセンティックなTシャツに集積される着心地のセンスなのだと信じています。

 

そして、このオーガニックな“センス”に惹きつけられる関心もまた、
世界を明るい方向へと導いてくれる積み重ねられた歴史プロセスの1チャネルであろうと信じてもらいたい。
なにかを憂いているよりも先に、初心にかえって毎日着るインナーの肌触りがシーズンの心をくすぐりはじめます。

 

コットン100パーセントのオーセンティックなTシャツに惹きつけられるオーガニックな“センス”
plain white t-shirt

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http://www.sunspel.com

 

〈SUNSPEL〉は現存するブリティッシュメーカーの中でも、最も古い歴史を持つベーシック衣料ブランドのひとつです。
1822年創業のメーカーの謳い上げる理念は、一口に語るにはあまりに尊大なストーリーが広がりますが、
軍需や大英帝国時代に東洋にまで渡った事業で培われた経験値の一つ一つが、
Tシャツやショーツといった身体を包み込む下着に詰込まれ、私たちはその柔らかさに触れて受け取ることができます。
特に、西インド諸島から調達した最高級コットンという、いわゆる超長繊維と呼ばれる原料へのビジョンは
今日のマーケットの辟易とした中から渇望されることから見ても、いかに突出したものであるのかがわかります。
歴史より何よりも、こうした知見が卓越されたものとして引き継がれてきた事に見事な精神性を感じることができます。

 

原料へのビジョンという優越された知見の広さがブランド理念を超越えて引き継がれる。
plain white t-shirt

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http://www.sunspel.com

 

超長繊維-エジプトのギザ45、ペルーのピマコットン、それから有名なシーアイランドコットンは長い間、
ロイヤルコットンとして英国王室の専有としていたために、巷間に出てくることはほとんどありませんでした。
シーアイランドコットンといえば、〈John Smedley〉製のニットウェアが世界中のハイスタンダードと言えるでしょう。
エヴェレスト遠征の様な国家事業規模の極地探検と供にした一大ヒストリーに繋がる糸というものも、
並べて“本当の最高級”と呼ぶべき精神性が露わになる瞬間なのかもしれません。

 

“本当の最高級”というイングリッシュクラフトマンの精神とコットンの上質な価値を顕しているのではないだろうか。
plain white t-shirt

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http://www.sunspel.com

 

「ちがいがわかる人が好んで買う」下着は繊維の宝石と呼ばれる最高の原料と、
英国特有の優れたカッティング技術が組み合い、優れたかたちとなって現在まで至っている。
plain white t-shirt

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http://www.sunspel.com

 

エリザベス1世統治時代、王侯貴族が手放さなかった宝石は、
そのごく限られた生産量のためによって設定された至高性であったであろうことが容易に想像がつきます。
そして産業革命を経て、物質的な充足がいくらか落ち着いた頃、僕たちは薄薄と見えてきたのです。
今や、世界には余って余って仕方がないという程、原資は残されていないということを。

例えば、天然繊維の代表格でもあるコットン製品の大多数は農薬を大量に使用した、
まったくピュアでもナチュラルでもない“天然”であることを、もうそろそろ僕たちは知っています。
薄っすらと見えたのは、単なるファッションという限定された閉鎖的なマーケットで、
コットンというたった一つのファブリックの種を栽培するための農地の不完全さの代償につながるという予感だけでした。
こうして、事実、世界の農地の内訳のなかのわずか2~3パーセントに過ぎない綿花畑だけの農薬使用量が
全総体の10パーセント以上を占めている事実が、売れ残りの塵山にレーベル付けされました。
この事実は1990年代のはじめから次々と指摘されはじめてはいました。
ところがセンセーショナルだと思われたデータは、日に日に落ちていくサプライズ度数と同角度で疲弊し、
関心を持続することは、なんとなく避けて通りたい道になってしまいました。
これは遠く離れた極地戦争と同じで、語られない、触れられない、向こうの岸に放られてしまいます。
不利益な他人事ではすまされないところまできているという真直ぐな現実は、理解っているのだけれど、止められません。
どれくらいの人人が、高高服を買うことにそんな奥行きを見ようとするのかは誰にもわかりません。

 

背景をキレイに整えたところで、はっきりと届かないボイスもあったということです。

 

お金をたくさん持っていたとしても、もしも持っていなかったとしても、
ショッキングなニュースだと作り上げられたものは、上面に現れないもの、
直接自分の身に起きていない数多の芝居がかった
シナリオ謹製の社会の1シーンが垂れ流されている様に感じられて仕方がありません。
どんなにすごいことでも、自分の内に入り込まないものは価値としてゼロに等しいでしょう。
逆にどんなに小さいものであっても、センスライブラリーへ取り込んでしまったものは
本来の意味でのファッションになり得ると考えるのは不自然ではありません。

 

今日、たとえそれがシーアイランドコットンのような希少種でなくても、
一着一着の重みは、どの衣料にも、いえ、すべてのモノに対して抱かなくてはならない責任なのかもしれません。
食品を棄てることに罪悪感をもって、500円のシャツに情愛を込めることはあり得ません。
低い安いの対価は、概してものごとを大切にする-
つまり背景やプロセスを価値として受け取るセンスを放棄してしまいやすいことへ繋がるのではないでしょうか。

Epokalでは、そうしたモノゴトの焦点を多角的に取り込みながら、
ただ、そうは言っても時事の急激な変化は避けなければならないことであって、
変調のスムースな移行のためのスロープを、センスの種付けという行為と言動とファッションに対して求めたいのです。

プレーンの白いシャツに純粋な光明を感じたのは、
そんなセンスの奥行きのはじまる一点であったのかもしれないと思いながら。

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