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曖昧なファッション
という立場から本を眺め
見えてくるものとは?

「ダサいこと」を受け入れることで
見えてくるファッションの輪郭と
ストリートの先にあるもの

4 minutes

曖昧なファッション
という立場から本を眺め
見えてくるものとは?

「ダサいこと」を受け入れることで
見えてくるファッションの輪郭と
ストリートの先にあるもの

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曖昧なファッション
という立場から本を眺め
見えてくるものとは?

「ダサいこと」を受け入れることで
見えてくるファッションの輪郭と
ストリートの先にあるもの

ファッションとは、とても曖昧な領域を示す言葉だ。
最近のインタビューで山本耀司氏は「ファッションという言葉が嫌いだ」と語っていた。
単純な意味をつかんでみると、ほとんどの答えが衣服やお洒落するといったイメージに
なるのかもしれない。
しかし、イメージとは言うものの、そのかたちは目に見える具体的な何かに結びつけられて、
理解されることがほとんどだろう。

以前から度々書いてきたことではあるが、Epokalが考えるファッションは、それとは少しばかり違う。
個々のライフスタイルや生き方、とりわけ一見すると不器用とも思えるセンスに基づくものかもしれない。
そうした非常に感覚的で言葉で表現することが難しい概念をファッションと呼ぶ。

ある人はどこまでも無関心。気にしないし、正直どんな格好でもいい。また、意識すらしない人も
多くいることだろう。
一方である人は、いわゆるモードと呼ばれるような最先端のブランドやパリコレクションを連想するし、
若い頃は、毎日の着こなし自体を等身大のお洒落として楽しむことをファッションと呼ぶのかもしれない。

それでも、おそらく一般的な常識を持っている人であれば、少なくても何かしらの衣服は身につけているに
ちがいない。
ファッションとはどのように捉えるべきなのであろうか。

例えば、手元にある「The Sartorialist」一冊の本。その中には世界中に溢れる「ファッション」の”今”を
一目で捉えるのに、適しているかもしれない。
本には様々な見方・読み方があるが、今回はファッションという立場からページをめくってみたい。

 

the sartorialist

the sartorialist

 

昔ながらの洋服好きなら、今という空気を感じとり、それを自分のセンスというフィルターを通して
取り込むことは容易なことかもしれない。
そういった姿勢が正しいと断定できないのは、それもまたファッションの定義のひとつだからであって、
ファッションとは、その街の温度や共有する雰囲気のような可視化できない多くの要素が影響しあって
様々な表情をつくりだすものだからであり、変化は必然だと言える。
環境や気分を人々よって様々に具現化されることが、ファッションの面白さの頂点なのではないだろうか。
だから今、ストリートがハイエンドに、ハイエンドがストリートに歩みを寄せているのだろう。

ファッションフォトグラファーScott Schumanはストリートを舞台に、環境や気分によって変化する
世界中のファッション、人物と衣服を切り取っていく。

 

the sartorialist

the sartorialist

the sartorialist

the sartorialist

 

パリ・ミラノ・ロンドン・ニューヨークのファッションウィークに集まるのは、デザイナーやディレクター、
エディターにスタイリスト、アーティスト、モデル達といったプロフェッショナルだけではない。
そうした一線のファッションは、ある意味ほとんど完成されているのだろう。
安定はしているが、正直に言うと時々、つまらなささえ覚えることもある。

というのも、生身のその人に会って話している訳ではないので、ある種の完全性は壁をつくる。
その壁の内側であろうが、外であろうが、壁は壁であってそれ以上進めないという感覚を生起させる。
これからは、いっそうリアルな好奇や興味、実体験の手に取って獲得する”何か”が私たちを動かす
原動力になることは間違いない。
いわゆる「ファッション」の不遜は、こうした社会の流れにおいてけぼりにされそうな空気さえ
漂っている。お高くとまろうが、オシャレだろうが、画に収まったらおしまいなのではないのだろうか。

 

the sartorialist

the sartorialist

 

いくらハイブランドを身につけたとしてもダサいものはダサいが、しかし、「The Sartorialist」に登場する
人物には表情が溢れている。それでも、上述の「ダサ」は否定しきれない。
いくつものファッションウィークを駆け抜け、国を巡り、その分だけ人々を切り抜いてきた写真家は、
その「人」を鮮明に浮き上がらせる眼を持っているのだ。

 

ファッションシーンのそれよりも、むしろ旅の風景の中に立ち現れる日常の中に「ファッション」の空気を
感じることがある。その人は身なりのことなど関係なく生きることもあるだろう。むしろ、その方が多いだろう。
それでも「The Sartorialist」は切り取る。本人でさえ意識していないものが成り立つのだから、ファッションとは
どこまでも不思議なものである。
私たちの日常は、誰かの目線では美しく見えることがあるのだろう。要はそれを感じ、切り取ることが出来るか
どうかという点なのだろう。

 

人の目が気になることがいいところでもあって、反対にそれで足並みが揃った姿勢は退屈でつまらないのかもしれない。
そして、考えてみると、他人の目線ではどのような「ファッション」にうつるのか、それは誰にもわからない。
「The Sartorialist」が映す”裏”ストリートのスナップは、ある意味で核心をついているのではないだろうか。

 

日本に多い(と個人的には感じる)よそよそしい横目使いの視線はクローンを育ててしまいがちである。

当たり障りのなさや慎みにすり替えられやすい不感や従順な感性は、システム化されたプログラムシナリオに沿う。
それがファッション=衣服といった一義的な考え方が広がるのだろう。

ダサくても良いのではないだろうか。

 

the sartorialist

the sartorialist

 

他人の目を気にして歩くことがファッションの意義で、クリシェとも言える客観的視点だとすると、その根本を
引っこ抜くこともしてみなくてはいけない。今、これを見ている”自分”とはどの目なのかということを。

 

”自分”は好きなファッションを着ているが、私は自分の目でその背中すら見たことがない。
あなたが拘ったディテールなど誰が見ているのだろうか?
街の風や温度によって空気がかわるのは当然なのだから、つまり、ストリートを見る視線の先には自分という
「ファッション」が見えてくる。

 

Epokalから派生したINSPIRATION CULT MAGが監修する4 SENSE’S for TOMMY HILFIGERでは、
そうしたストリートの日常とも言えるファッション・ストーリーを公開している。

このストリート・ストーリーを見るあなたの視線の先に見えるあなたのファッションとは、
どのようなものだろうか?

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